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不完全でいることを恥じない生き方でいい〜不完全なまま生きることを、肯定したい人へ

僕は、人とコミュニケーションを取るのがあまり得意ではない。
会話そのものが苦手というより、相手に合わせ続けることに強い疲労を感じてしまう。仕事中は特にそれが顕著で、無理をして人に合わせるほど、心の奥に静かなストレスが溜まっていく。

だから家に帰ると、自然と部屋にこもる。
誰とも話さず、一人で過ごす時間だけが、自分を元の形に戻してくれる気がする。社交性がないと言われれば、それまでかもしれない。でも僕にとっては、生きるために必要な距離なのだ。

幼少期を振り返ると、親と楽しく遊んだ記憶はほとんどない。
それよりも、体罰や厳しい言葉の記憶の方が、今もはっきり残っている。その影響なのか、今でも実の父親に対して、どこか拭えない違和感がある。嫌悪とも違う、理解とも違う、言葉にしづらい距離感だ。

10代の頃から、僕はずっと「自分は不完全なんじゃないか」と思ってきた。
周囲のようにうまく振る舞えない自分が、どこか欠けた存在に思えた。そんな僕を支えてくれたのが、読書だった。本の中には、同じように迷い、苦しみ、欠けたまま生きる人間がいた。不完全でも生きていていいのだと、静かに教えられた気がした。

家族には、かなり迷惑をかけてきたと思う。
子どもたちに対しても、決して優しい親だったとは言えない。厳しすぎた場面も、きっとあった。それでも当時の僕は、自立した人間になってほしい一心で必死だった。自分が満たされなかった部分を、どう扱えばいいのか分からなかったのだ。

この年になって、ようやく気づいたことがある。
そもそも世の中に、常識に富んだ「完全な人間」など存在しない。誰もが心に、寂しさに似た闇を抱えている。明るい笑顔の裏側に、深い悲しみが隠れていることも珍しくない。

毎日後悔し、時には一人で泣きながら、それでも前に進もうとする。
一歩進んで、二歩下がる日があってもいい。立ち止まってしまう日があってもいい。それでも生きているなら、それで十分なのではないかと思う。

完璧を求めた先に、何が待っているのか。
自分を追い込み、他人を裁き、心の余白を失ってしまう未来なら、僕は選びたくない。不完全なまま、迷いながら生きる方が、よほど人間らしい。

不完全でいることを、恥じなくていい。
欠けたまま、揺れたまま、それでも今日を生きている自分を、もう少しだけ認めていい。人生はきっと、未完成のまま終わる。でも、その未完成さこそが、僕たちを人間にしているのだと思う。

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