親の介護の話は、なぜこんなにも伝わりにくいのだろう。
今週の月曜日の夕方。
姉から一本の連絡が入った。
「親父が体調悪くして、救急車で運ばれて入院した。」
年に一、二度は入院しているので、
“救急車”という言葉そのものに、そこまで驚きはしなかった。
ただ、親父ももう80代後半。
いつ、何があってもおかしくない年齢だという事だけは、ずっと頭のどこかにある。
病名は、肺炎と肺気腫、水頭症。
どれも以前から治療している病気ではあるけれど、
今回は肺炎を患った事もあり、少し嫌な予感がした。
翌日の火曜日。
職場の上司に事情を説明し、昼から早退して病院へ向かった。
病室にいた親父は、いつになく元気がなく、弱って見えた。
だけど会話は出来た。
「病院の飯はまずい」
「トイレ行きたいけど、酸素してるから我慢しろって言われる」
「麦茶ばっかり飲まされる」
そんな愚痴を、ぽつぽつとこぼしていた。
でも、その感じが逆に少し安心した。
「ああ、まだ親父らしいな」と思えたからだ。
病室を出たあと、看護師さんに症状と入院期間を確認すると、
酸素濃度が落ち着けば、おそらく二週間ほどで退院出来るとの事だった。
少しホッとした。
ただ、現実問題として、これまで親父の面倒は、ほとんど姉が見てくれている。
自宅からの距離を考えても、
こういう時くらい、自分も出来る限り動かなければと思った。
姉にも、少し休んでほしい。
でも、こういう“家族の介護事情”って、職場ではあまり耳にしない。
もちろん、話していないだけなのかもしれない。
だけど実際、介護の話って、経験していない人にはなかなか伝わりにくい。
親が急に倒れる不安。
病院からの電話に身構える感覚。
仕事との両立。
兄弟姉妹との役割分担。
遠距離介護の難しさ。
お金の問題。
そして、「この先どうなるんだろう」という、終わりの見えない気持ち。
どれも、実際にその立場になって初めて分かる事ばかりだ。
だからこそ、親に何かあるたびに思う。
みんな、本当はどうやって乗り越えているんだろう、と。
施設に任せているのか。
家族だけで抱えているのか。
ちゃんと顔を見に行けているのか。
共有したい事は、本当は沢山ある。
介護って、決して特別な家庭だけの話じゃない。
誰の家にも、いつか必ずやってくる可能性のある現実だ。
それなのに、職場では意外なほど語られない。
介護を理由に悩み、疲れ果て、
誰にも相談できず、最終的に仕事を辞めてしまう人もいる。
それって、あまりにも理不尽じゃないだろうか。
もっと職場でも、
もっと社会全体でも、
「家族の介護」について、自然に話せる空気があってもいい気がする。
そして今、介護の真っ只中にいる誰かが、
「自分だけじゃない」
そう思える場所が、少しでも増えてほしい。
