門番レイン 第二十五話 はいよ、息子

第二十五話 「はいよ、息子」


チュンチュン。

小鳥の声が、宿舎の屋根をかすかに渡っていた。

朝は、のどかだった。

春の終わりの風が、玄関前の土をうすくなでている。

その朝、レインはすんなり起きた。

いつものように着替えを済ませ、朝食を食べ、巡回に出ようと玄関を出る。

さて、出発だ。

玄関前の土。
朝の風。
小鳥の声。

どれも、いつもと同じはずだった。

でも、違う。


そのすぐ先に、茶色いものが、ころんと転がっている。

(えっ……。)

レインは立ち止まった。

それだけが妙に目についたのは、最近どこかで見たような形をしていたからだった。

見たくない既視感だった。

(……またか?)

手が、反射的にポケットのあたりへ動いた。

すぐに止めた。

つまずいてもいないし、まだ拾ってもいない。


前回のことがある。
拾う前に、まず周りを見る。

レインは少しだけ辺りを見渡した。

(いない、よし。)

それを確かめてから、そっとしゃがみ、茶色い実を拾った。

手のひらに乗せる。
持ち直して、耳の近くでそっと振ってみる。


ころっ。


中で、なにかが小さく鳴った。

木彫りではない。

それは、ただの本物のクルミだった。

(本物か。本物なら、どうするんだっけ)

そこまで考えかけて、レインはすぐに止めた。

考えすぎると、また何かが始まる。

前回、それは学んだ。


クルミを手のひらに乗せたまま、もう一度、辺りを見た。

近くの木の枝が、かさりと揺れた。

リスが一匹、じっとこちらを見ている。

逃げずに、少しだけ前足を動かした。

返せ、と言っているようにも見えた。

本物のクルミ。
たぶん、リスのもの。

ならば、持っていく理由はない。

レインは木陰のほうへ、クルミをそっと転がした。

ころん。

一歩下がり、これ以上は関わらないと決めた。

そういうことにして、息をひとつ。


今日は、うまくかわせた気がした。

その安心が、よくなかった。


レインの前を、いつもの村の景色が流れていく。


巡回も、もう終盤。

門前通りを抜けようとしていた。

「レイン、おはよう」

八百屋の女主人の声がした。

いつもの声だ。

「おはようございます」

返事は普通にできて、通りすぎてもよかった。


でも、買おうと思ってしまった。

明日の朝飯に、なにか買っておくか。

店先には、春キャベツが並んでいる。

葉がやわらかそうで、朝の光を少しだけ受けている。

ただ、一玉は大きい。

朝飯に使うには、少し多すぎる。


迷っていると、店主が声をかけた。

「レイン、それなら少し切ってあげようか。朝の汁物に入れるなら、これくらいでいいよ」

いつもの声だった。

あまりに自然な、世話を焼く声だった。

「じゃあ、それを少し――」

そこまでは、普通だった。

店主が包丁を取り、春キャベツをざくりと切る。

「はいはい、明日の朝の分ね」

その声が、すっと入ってきた。

その瞬間、レインの口が勝手に動いた。


「……母ちゃん、それ」

(あっ、しまった。)

言った。

言ってしまった。


二秒の停止。


八百屋の女主人は、にこっと笑った。

「はいよ、息子」

何事もないような返事が、返ってきた。

じゃら。


第二十六話 「春キャベツの温かさ」

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