スクールカーストがない世界
人口5万人から10万人の間を行き来する地方都市で育った。
私の世代だと、一学年は男女合わせて四十人前後のクラスが六組まであった。
この規模の集団のなかでは、たぶん私はスクールカーストの中の上にいた
理由は二つある。
一部を除けば、女子を味方につけていたこと。
それとヤンキーと仲が良かったことだ。
この二つのグループとの関係なしに、当時のスクールカーストは語れない。
ちなみに「ちびまる子ちゃん」の主要キャラで自分を例えるなら「山田」だな。
表向きは、かぎりなく「山田」に近いと思う。女子受けが悪くない「山田」だ。
ヤンキーとの関係が良好だったのは、基本的に無害だが、やられたらやり返す姿勢があったからだ。(万が一にも山田に手を出して、返り討ちにあったら、その後がないだろ。そういうバランス感覚は生存戦略として働いていた。)
それよりも彼らに対しての偏見がなかった。見た目よりも能力で見ていた。
ヤンキーだから勉強ができない、スポーツができない、という単純な話でもない。むしろできるやつは、こちら側にいた。
クラス対抗のイベントがある場面では、仲良し同士でつるむのが自然だったけど、私は純粋に勝ちたかった。
だから、人気はあるけど鈍い奴というのは、そういうときすごく疎ましかった。
「陰キャ」的な属性だけど、運動能力が高い子は普通にいたので、向こうは嫌でもこっちは、そっちと組みたかったのが正直な気持ちだ。
属性ではなく、機能で人を見る感覚だったと思う。ただ、その姿勢はけっして表に出せるものではなかった。
だから、カーストの外にいる層からは、私はお調子者か、うまく立ち回るゴマすりのように見えていたことは肌感覚で伝わっていた。
こうしたズレは、カーストという構造に所属した時点で避けられないものだった。
見えない敵は確実に増えていった。
この構造がはっきり表に出たのは卒業してからだった。
その時を待っていたんだろうね。
それまではあだ名で呼ばれていたのが、苗字を呼び捨てにしてくる元クラスメイトが出てきた。
それは、明らかに上下関係の再構築を意識した態度だった。
悪いけど、そもそも関心の外にいた面子だったからダメージはないんだけど、「ああ、こういう形で関係が整理されるのか」とは思った。
あまりにも予想通りの反応ではあったけど、おかげで、人間に対してある種の失望感は生まれた。
インターネットの時代になると、「スクールカースト上位にいた連中の末路」なんて動画のタイトルを目にすることがある。
それを見るたび見知らぬ投稿者であっても、名前や顔のタイプまで想像できてしまう程度には、ステレオタイプが固定されていた。
飯野おまえだ!
