深夜二時のカフェテラス #シロクマ文芸部
深夜二時。街の喧騒はとうに眠りにつき、煌々と輝くネオンサインもまばらになった頃、私は、いつものカフェテラスにいた。深夜営業のこの店は、私とカウンターの奥で静かに本を読むマスターしかいない。私は冷めかけたコーヒーを一口飲み、スマートフォンの画面に目を落とした。そこに映るのは、見慣れたSNSのタイムライン。しかし、指を動かす気力も湧かない。
ここ最近、私は午前二時にこのカフェテラスに来るのが日課となっていた。日中は人前で明るく振る舞い、誰もが羨むような生活を送っていると見せかけている。だが、一日の終わりに訪れるこの静寂だけが、私にとって唯一の安らぎだった。誰にも見られない、本当の私でいられる時間。
「君も、そろそろ慣れただろう?」
マスターが顔を上げずに言った。私は軽く肩をすくめる。
「ええ、もうこの時間が一番落ち着きます」
マスターはくすりと笑った。
「ここにいる客はみんな、何かを抱えて午前二時を過ごしている。ここにいれば、誰にも邪魔されないと知っているからね」
その言葉に、私は何も言えなかった。マスターは私の秘密を知っているかのように話す。いや、もしかしたら、ここに集う皆が同じような孤独を抱えているのかもしれない。
ふと、テラスの奥に目をやると、一人の女性がいた。真夏だというのに、首元まである黒いタートルネックを着込み、深いフードを被っているため顔はほとんど見えない。テーブルには何も置かれておらず、ただじっと一点を見つめている。彼女もまた、午前二時の訪問者なのだろう。
私は興味を惹かれ、彼女を観察し始めた。最初は微動だにしなかった彼女が、やがてゆっくりと頭を動かし、空を見上げた。そのフードの隙間から、白い顎のラインがわずかに見えた。そして、彼女の指先が、テーブルの上を何かなぞるように滑っているのが見えた。まるで、そこに何か文字が書かれているかのように。
午前二時半を過ぎた頃、マスターが私のテーブルに近づいてきた。
「そろそろ閉店の時間だ。今日のところはこの辺で」
私は慌てて時計を見た。あっという間に時間が過ぎていたことに驚く。顔を上げて奥の女性を見ると、彼女はもういなかった。いつのまに立ち去ったのだろう。
「あの方、いつもいらっしゃるんですか?」
思わずマスターに尋ねた。マスターはカップを拭きながら、小さく頷いた。
「ああ、彼女もね。毎日、午前二時から三時までここにいる。そして、いつも何も頼まずに帰っていく」
私はその言葉に、何とも言えない感覚を覚えた。私と同じように、いや、私以上に深く、何かを抱えている人。
翌日の午前二時。私はいつもの席に座っていた。そして、奥のテーブルには、昨日と同じ女性が座っている。私は迷った末、立ち上がり、彼女のテーブルに向かった。
「あの、もしよかったら……」
私が声をかけようとしたその時、彼女はゆっくりと顔を上げた。フードの奥から現れたのは、美しくもどこか哀しげな瞳だった。そして、その視線は私の背後を通り過ぎ、テラスの向こう、闇に沈む空を見つめていた。その瞳には、私には理解できない、深い絶望のようなものが宿っているように見えた。
私は一瞬、言葉を失った。そして、彼女のテーブルに目をやった。昨日と同じように、そこに何も置かれていない。しかし、そこに確かに、何かを書きつけた跡があるように見えた。指先で触れてみると、そこにかすかな凸凹が感じられる。まるで、目に見えないインクで書かれた文字が、確かにそこにあるかのように。
私は思わず、テーブルに手を滑らせた。すると、その指先が、何か硬いものに触れた。それは、小さな薄い紙片だった。私がそれを手に取ると、女性はゆっくりと立ち上がった。彼女は何も言わず、そのまま音もなくカフェテラスを後にした。
残された私と、手のひらの上の紙片。街の明かりが、その紙片に書かれた文字をぼんやりと浮かび上がらせた。
「午前二時を、終わらせて」
