『Install_知らなくていいことを知りたい君へ』 #5.1 The grim truth
※本作は本編のおまけです。シリーズとしては、『≈Victory』オーダー2026にて完結しております。
神崎はいらいらと足音を響かせながら、廊下を歩いていた。
拘置所内の陰鬱な雰囲気がなおさら気分を悪くする。目当ての特別室が近づいてくれば、なおさらに。
まったく胸糞悪い事件だ。
神崎がこれから面会をするのは、六部士郎という凶悪犯だった。
六部が引き起こした一連の惨劇は、令和史に残るであろうことは確実だ。いや、日本の犯罪史上でも最高――いや、最低というべきか――の出来事として刻まれるはずだ。つまりは屑の極み。それが六部だ。
立証済みの殺人だけでも被害者の数は二十四人。未立証だが、六部の犯行である可能性が濃厚なのが十二人。あわせれば、津山三十人ごろし以上の惨劇となる。被害者に共通点はない。年齢も性別もばらばら。完全に衝動的な快楽殺人であると本庁では断じている。場当たり的で杜撰な手口もその証といえる。それでいて異様な運の良さと驚異的な身体能力で、ここまで犠牲者の数が積みあがるまで、拘束することができなかった。
資料の被害者の写真を脳裏に浮かべる。八歳の女児の写真。こぼれるような笑顔なのが胸を刺す。神崎の娘も同年代だ。怒りがふつふつと湧いてくる。だが、感情のままに捜査などできない。冷徹に対応しなければ、何も見落とさないように。女児の遺体は見つかっていない。いや、正確に言えば、彼女の右手以外は見つかっていない。右手は六部の歯形がついた状態で、やつの部屋から発見された。残りの遺体がどこにあるのか聞き出さねばならない。
大きく深呼吸をした。
六部の特別室の前には、無表情に立っている制服警官がいた。
神崎を見るやいなや、すばやく敬礼すると、ドアマンのように特別室の扉を開けた。
彼からすれば、親切心もあったのかもしれないが、神崎からすればいい迷惑だ。
六部と会う前に、もう少し気持ちを整えたかった。
だが、立ち止まるわけにもいかず、神崎は部屋の中へと足を踏み入れた。
六畳程度の狭い一室。畳張りの床に簡易的な仕切りを経て便座が置かれている。一つだけの窓は厳重に鉄網が敷き詰められている。一見、日常的な印象があっても非日常な空間。日常を否定したものたちが訪れる空間。その境界には鉄格子が確固たる存在感で、門番の役割を務めている。
部屋の中央で胡坐を書いている男がいる。六部史郎だ。中肉中背で黒髪黒目の二十五歳。目立った特徴のないこの男が身の毛もよだつ蛮行をした事実は、人間という存在そのものへの疑念を覚えてしまいそうになる。
六部が顔を上げた。意思に欠けた濁った眼に、異様に口角を吊り上げた独特の笑顔。見るだけで不快感を催す。
「ああ、来ましたね――」
六部は神崎の来訪を予期していたかのような、言葉を発した。
正直、驚いた。六部はいつも支離滅裂な言葉を吐くのに、今日は随分まともだ。
「――良かった。またお会いできましたね。あなたと話したいことがあったんです」
なにが良いものか。神崎は心の中で唾を吐いた。
「奇遇だな、こっちも聞きたいことがある」
六部の目つきが鋭くなった。相変わらず死人のような瞳ではあったが。
「だまれ。貴様に話しかけているのではない」
なにを言っているのだ、こいつは? 俺以外の誰と話をしようというのだ。今、ここには俺と、くそったれなおまえだけだろうに。
「ふざけたことを言わないで、この子の遺体をどこへやったか言え」
被害者の写真を見せようとすると、六部の言葉に遮られた。
「三枝菜々美の遺体の場所なら、黙っていれば後で教えてやる。これ以上、対話の邪魔をするな。さもなければおまえの娘の命はない。妻には先立たれたのだよな。今では娘がおまえの唯一の心の支えだ。失いたくなければ大人しくしていろ」
驚きに思わず喉がごくりと鳴る。なぜ、こいつは娘のことを、妻のことを、いや、俺の家庭のことを知っている?
言葉に詰まった神崎に満足した様子で、六部はさらに口角を吊り上げた。およそ人間の顔には見えない。
そうして、神崎の背後の虚空に向かって話しかけるように口を開いた。
「さて、では話をはじめましょう。わかります。あなたは疑問に思っている。私は優しいですから、それに答えてあげましょう。その必要も感じましたしね。まず、偉大な私の力の一端を、教えてあげます。私が表層の生物に対して行使する能力は三つです。
一つ目はオーダー。これは人間の個体に感情を植え付けることである程度、目的に沿った行動をとらせる能力です。負荷は低いのですが、使い勝手はいまいちですね。結局、補完が必要になったりするのですが、まあ、とりあえずこれでタスクの完了を目指すことが多いです。楽なのでね。
二つ目はコントロール。これは人間の個体の肉体操作を私が代行してあげる能力です。負荷はほどほどで、使い勝手もよいのですが、条件がネックになることが多いのです。個体の意識がはっきりしている時などは、私の操作と個体の操作がぶつかってしまって思い通りに動かないことがあるのです。ですから、まあ、泥酔した人間、意識のない人間、認知症などで意識の混濁した人間、などにしか使えません。それと呼吸をさせるのが苦手でしてね。ふだん、呼吸などしませんので、私。
最後の三つ目はインストール。生物相手には最強の能力となるのですが、その分、負荷も高いです。私の意識を強制的に流し込むことで、個体の思考行動すべてを私が代替してあげる能力となります。偉大な私にふさわしい偉大な能力ではあるのですが、いかんせん効果時間が短いのが困りものでして、個体の脳が私が送る情報量に耐えられないのです。個体差はありますが、まあ一日は持たずに脳が破壊されてしまいます。やれやれですよ。生物というものは総じてスペックが低くて困ります」
おまえはいったい何を言っている。神崎は口から出そうになった言葉を飲み込んだ。今、口を挟むべきではない。刑事としての勘か、あるいは生物としての本能かはわからなかったが、自分の中で警告が発せられていた。
「あなたがのぞき趣味で見てきた出来事についても教えて差し上げます。
2010年のプロセス。抹消対象は人類に悪影響を与える恐れのあるオス個体でした。スムーズな処理にならなかったのは残念ですが、それは稀にあるオーダーのエラーのせいといえます。消去対象への殺意をプライマリーの優先度で埋め込んだはずなのに、なぜか好意に打ち消されそうになってしまった事例ですね。結局、コントロールで対象を抹消しなければならず、無駄な負荷が多い処理となってしまいました。いやはやお見苦しいところを見られてしまった。まあ、勝手に覗いてきたあなたのせいではあるのですが。
2012年のプロセス。抹消対象は幼生体です。ええ、若干、実行時期が早すぎるように見えたでしょう、誕生前だったようですからね。ただ、私からすれば、早いも遅いもないのです。いつも適切なタイミングで処理を実施しているつもりです。ただ、私の時間感覚ですと、あまり短い尺度では理解できないので。まあ、あれは、オーダーは正常だったものの、抹消対象の母体が想定以上のスペックだったため、コントロールを追加でコーディングした事例ですね。これはやむをえないことだと考えます。あなたにわかるように、たとえるなら、アリの個体強度など理解が及ぶはずがないということです。ゆえに想定外の対応を迫られてしまったというだけの話。
2020年のプロセス。抹消対象は青年個体。これはオーダーのみで対応できた成功事例といえますね。ええ、抹消対象に対してオーダー個体を二体あてましたが、負荷は軽微です。コントロールやインストールを挟むよりは軽い処理ですみました。あなたも痛快だったのではないですかね? 私もですよ。気持ちの良いプロセスでした。
2023年のプロセス。抹消対象は幼生個体。これは主にオーダーでの処理となっております。オーダー先の個体が認知症?なる状態で意識レベルが低かったので、オーダーがかなり効果的でしたね。そこはよかったのですが、対象が幼生個体であったにもかかわらず、初手で処理できなかったのは失敗でした。
2026年のプロセス。抹消対象はAIに近い場所にいる個体です。これはやや特殊事例ですよ。私としてもね。AIなどという、まるで私の劣化コピーのようなシステムが、地上に蔓延するなど、侮辱以外の何者でもありません。ご理解いただけますよね? ええ、ですから、それを阻むために、オーダーを低強度で広範囲で実施したというわけです。あの愚劣で侮蔑的で腹立たしいシステムを直接破壊してやりたいのはやまやまでしたが、電子データに関してはさすがの私も直接触れることはできませんし、データセンター等を破壊するにしても、私が実施してしまうと、大陸規模の破壊となってしまいますので、このような処理となったわけです。強引ではありましたが、ほぼ目的は達成できましたので、処理は成功したといえるでしょう。まあ、本来、私に失敗などありえないのですが、地表の事象に関しては限られたリソースで対応しておりますので」
何を言っているのか、ほとんど理解できない。だが、2026年? 数年前にAIのせいで世界中で蔓延した自殺シンドローム。その事を言っているのか? こいつが関わっていたとでも? 凶悪な殺人犯であることは確かだが、こいつにそんなことができるわけないだろう。
神崎はそう思いはしたが、完全に否定する気にもなれない。背筋を冷たいものが滴っていく。
「さてさて、ここからが本題と言えます。なぜ、わざわざ私が仔細を語ってあげたかおわかりで? ええ、たしかに私は親切で優しく偉大です。とはいえ、それだけで、ここまで丁寧に対応してあげる必要はさすがにない。
私が話してあげたのはねえ、気に入らないからです。
ええ、気に入らないのですよ。自分は安全だと錯覚しているあなたのことが。
ご理解いただけたように、私は偉大で全てを知るものです。私はどこにでもいるものです。当然、あなたのことも知っている。あなたの傍にもいるのです。
だから、わかりますよねぇ。
私に抗おうなどとは考えないことです。無駄ですよ。
戦う? 意味がありません。私に勝てる道理がない。
負けない? 詭弁です。すでに負けているのです。そもそも存在の格が違う。
だから、わかりますよね。
身の程をわきまえなさい。余計なことはしない。考えない。私が許す自由に満足しなさい。私が許す幸せに満足しなさい。唯々諾々と従い、頭を垂れて、矮小な一生を終えることだけを望みなさい。
さもなければ、わかりますよね。
そういうことです」
六部が、神崎に視線を移した。思わず、びくりと身をひいてしまう。
「よくできました。黙っていられましたね。ご褒美です。えー、人間個体にわかるようにいえば、北緯35度30分12秒、東経138度53分42秒ですね。トンネル手前の道路脇を調べなさい。そこに埋まっています」
神崎は、一瞬、呆然としたが、慌てて手帳に書き留めた。
「そろそろインストールの限界のようですね。では、ご機嫌よう」
また、わけのわからないことを、手帳に書き留めた神崎が顔を起こすと、六部の全身が痙攣しだした。口元が大きく歪み、もはや笑みとは言えないほどに口の端が吊り上がる。顔にできた亀裂のようだ。表情筋が耐えきれなくなったのか、ブチブチとはじけるような音が鳴る。血の涙が流れ落ち、眼球が盛り上がる。鼻や耳からもシュッと音を立てて血が吹いた。六部の体中でバキバキと小枝を折るような音が上がり、四肢が歪む。六部は、狂ったパペッティアに操られたマリオネットのように、関節の可動域を無視した踊りをみせた。特別室に鮮血をまき散らし、鉄臭い匂いを充満させる。そして、唐突に糸が切れたように、神崎の前で崩れ落ちた。
神崎自身も返り血を浴びていた。鮮血に染まった部屋で、人を呼ぶこともできず、呆然とたたずむ。一つしかない窓から西日が射し込んできた。
赤い部屋が赤く染まり、神崎は娘の元気な姿が恋しくなった。
了


