エッセイ「自分探すなの旅」
「自分探しの旅」という言葉が、私にはどうも胡散臭く思えて嫌いなんだ。本当の自分なんて探して見つかるものじゃないよ。それなら格好つけずにね、「自分磨きの旅」とでも言うように自分の未熟さを認めた方がよほど潔いですよ。
ところがね、若い子の披露宴に参列したときのことなんだけどね、司会の女に「新郎は自分探しの旅で北海道へ行き、牧場で働いたことがあります」なんて言わせたアンポンタンな新郎がいたんだよ。そりゃあ、食事も不味くなる。そういうことはね、人様の前で披露することほど恥ずかしいものはないんだよ。男としてね。
自分磨きをするのなら、行き当たりばったりなんて節操ない真似なんてせずにね、身近なところで事足りるんです。旅もいいけど、まずは足元を固めなきゃ役に立たないんだ。
一流の人間になるためには一流に触れないといけないね。もちろん理想の話であって、私自身もそこまでのものには触れていないけど、手が届く範囲でもいいから、いいものに触れたほうがいいんだよ。
コースの料理で普段口にすることのない料理を楽しむ。寿司屋で粋な振る舞いに包まれる。クラシックコンサートでストリングスの壮大さに耳を傾ける。絵画展で緻密な色遣いに目を奪われる。
なにもね、それをロブションやN響でやれというわけじゃないよ。地元のちょっといいレストランや自治体の定期演奏会でもいいんだ。絵画もフェルメールじゃなくて、どこぞの美術館の常設展でいい。体験することが大切んだよ。
例えば、散々っぱらテレビで富士山を見ていてね、それで満足していたところに実物を見たら、その雄大さに間違いなく感動する。自分磨きというのは、そうした知識と体験の穴埋め作業なんだ。
そうやって知識が経験に裏打ちされた人間というのは魅力的ですよ。相手が男女関係なくね、「私はクラシック鑑賞が好きなんです」と言われたときに「私も興味があって聞きに行ったことがあります」というのと「興味があります」だけでは説得力が全然違う。別に詳しくなくても、それを正直に言ってね、「詳しくないので色々教えてください」となれば向こうさんも悪い気はしないでしょうよ。
闇雲に自分探しなんてしないで、こうやって地に足をつけて、まずは自分磨きをしなさいな。この私が経験から学んで言うんだから間違いないね。
まあ、どれだけ頑張っても私のように三流から抜け出せない不器用な人間もいるんだけど。
了
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