エッセイ「渋谷で出会う奇跡の時代
サブカルチャーというものは、その一瞬を鮮やかに切り取らねば、たちまち散ってしてしまうほど移ろいが早い。かつて90年代の渋谷には、多種多様な文化が奇跡的に共存し、混沌とした輝きを放つ一瞬があったんだ。これは単なる懐古趣味じゃないよ。
いまや各地へ波及した文化の根源が、あの街のあの時代にだけ、特異な形で凝縮されていたという話である。
タワーレコードが現在の場所に居を構えたのは90年代半ばのことで、それ以前は宇田川町の東急ハンズ裏手にあった。1階と2階のみの、レコードとCDが混在する洋楽専門店。当時は国内盤よりも輸入盤のほうが安く、海外でしか手に入らない音盤を求めて若者が群れをなしたものだ。なかでも、縦長の厚紙製ケースに収められた「ロングボックス」のCDが棚に並ぶ光景は、町のレコード屋ではまず拝めない異様な趣があった。私が初めてグランジという音に触れたのも、あの空間だったとはずだ。
当時の渋谷は、ホビーの聖地としての顔も併せ持っていたね。タワーレコードのすぐ近くにはボークスがあって、道玄坂を登れば海洋堂が店を構えていた。いまやカプセルトイで名を馳せる海洋堂も、当時は精緻なガレージキットを主軸に据えていた時代である。なかでも度肝を抜かれたのは、全長1mほどもあろうかというマッコウクジラのキットだった。原型師・松村しのぶによるグラマラスな曲線美もさることながら、あれほど巨大なレジン塊に気泡一つ見当たらないという事実に衝撃を受けた。あれは生産職人の技量が常軌を逸していたからこそ成し得た、まさにオーパーツだったんだよ。
黎明期のクラブシーンもまた、熱を帯びていた。宇田川町の雑居ビルには小規模な「箱」が点在し、DJたちも破天荒な曲者が揃っていたな。重厚なメタルで客を煽ったかと思えば、唐突にカントリーを流してフロアをずっこけさせる。挙句の果てには、その熱量で箱そのものを壊してしまうといった無茶が平然とまかり通っていたのだ。さらに裏原宿まで足を伸ばせば、店主が趣味で買い付けたマクファーレンの「スポーン」が置かれたセレクトショップが軒を連ねていた。
綴りたい記憶は絶えないけれど、やはり懐古趣味と切り捨てられるのは心外である。音楽、ホビー、そしてナイトライフ。それらが奇跡的な均衡で溶け合っていたあの頃の渋谷を肌で感じた経験は、私の個性という歪な器を作るうえで、なくてはならない血肉となっている。そうした貴重な時間を通り過ぎてきたからこそ、いまの私があるのだろうね。
了
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