エッセイ「肩書きのバカバカしさ」
男たるもの肩書きをひけらかすことほど、バカげた行いはないね。課長や部長といった肩書きは文字通り、組織における「長」という役割であって、決して本人が偉いわけじゃないんだよ。長には必要な権限が与えられるけれど、それは同時に群れを適切に率いて、何かあれば責任をとる覚悟がなくてはいけないということだ。
ところがどうだい。肩書きが付いただけで、自分が偉くなった気になるヤツが多いじゃないですか。それなら自分一人で群れの仕事をしてごらんなさいと言うと、これが全く出来ない。それはそうだ。本当に現場の仕事を支えているのは、部下という一兵卒なのだから。
文化の世界も同じだよ。やれアーティストだ、クリエイターだと言うけれど、じゃあ君たちは本当に芸術家や創造主なのかと問われて、胸を張って答えられる人がどれほどいるか分からない。noteのように、運営側が便宜上クリエイターという言葉を用意している場合は別だけどね。やはりそういう肩書きは、音楽なりを商品として売ってお金を稼いでいなければ、自称するのは恥ずかしいんだよ。もっと言えば、自分で名乗るより周囲からそう呼ばれたほうが、よほどスマートなんです。
先生という肩書きもそうだ。
本来、先生という言葉は学校の教師だけに使うものだと私は思うんだよ。読んで字のごとく「先に生まれた」その経験を、子どもたちに希望や教訓として切り売りする。これも一つの立派な商売なんです。しかしね、そんなことを真っ当に全うしている先生は、果たしてどれくらいいるのかね。
それでいて、助教授なんて最高のパフォーマンスを出せる年齢層なのに、裏方業務に追われたりトップの看板の陰に隠れてしまったりして、あれも見ていて可哀想になるんだよ。
政治家を「先生」と呼ぶことなんて、口にするのもバカバカしい。ほとんどが政治家ではなく、ただの「政治屋」だからね。
医者も見ていられないトンチキがいるから困ったものだ。パパッと診察して、患者と目もロクに合わせない医者が若い人にいるんだよ。私が怪我をして総合病院へ行ったときなんかね、若い外科医が看護師にあれこれ偉そうに命令しているわけ。私の処置も面倒くさそうにやるから、とっくみあいになりかけたことがあるんだ。まあ、当時の私も若かったですからね。
そうなると当然、精神病院の主治医のところへクレームを入れることになる。でも、私の先生は「面白いことをしたじゃないか。精神病患者だからって下に見ているのが許せないんだ」とさらりと言ってのけた。こういう人こそが、本当の先生なんです。
医者だってサラリーマンであり、病院から給料をもらえなければ食べていけない。そして病院にお金を払っているのは患者なのだから、患者は客だという気持ちを忘れてはいけないんだよ。
まあ、あれからかなりの年数が経ったけれど、主治医にはいまだに当時の件を「武勇伝」とからかわれる。それはいかがなものかとは思うんだけどね。
了
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