エッセイ「毘沙門天の義」
男なら好きな戦国武将のひとりやふたりはいると思うんだけど、私は長尾景虎だね。毘沙門天の化身と謳われたあの男だよ。越後の龍とも呼ばれたね。
私は相州の生まれだから、北条氏のほうが身近ではあるんだけど、「小田原評定」なんて不名誉な言葉がついてまわるから困ったものですよ。
その越後の男と言えばね、魅力はやはり「義」に厚いところだろうね。だけど、裏切りや下剋上が日常茶飯事だったあの戦国時代において、義に生きて義に死ぬなんてのは、はっきり言って正気の沙汰じゃない。非常識極まりない生き方なんだよ。
今日の味方が明日の敵になり、実の親兄弟ですら平気で蹴落とし合う時代だ。そんな中で景虎が見せた振る舞いは、あまりにも異彩を放っていた。
たとえばね、有名な「敵に塩を送る」という話だね。今川や北条から塩の供給を断たれて苦しむ宿敵・武田信玄に対して、「戦いは兵器と拳で決するものであり、米や塩で相手を追い詰めるのは本意ではない」と、適正な価格で塩を送り続けたという逸話だ。
あるいはね、かつて敵対した北条家から人質として送られてきた三郎という若者を大層気に入り、自らの大切な本名である「景虎」の名をそのまま買い与えて「上杉景虎」と名乗らせたこともそうだね。並の武将なら人質など使い捨てのコマに過ぎないはずなのに、そこに非凡な情と義を通したわけだ。
甲斐の武田信玄にしてからが、死の間際に息子の勝頼へ「自分が死んだら謙信(景虎)を頼れ。あいつは義理堅い男だから、お前を悪いようにはせぬ」と言い残したと伝わっている。敵からそこまでの絶対的な信頼を寄せられる武将なんて、後にも先にもこの男くらいのものでしょうよ。もっともね、ここまで綺麗な話かどうかは、史実としては眉唾ものなんだけど、話そのものはいいじゃないか。
と、まあ、ここまでならただの美談だし、ロマンあふれる英雄譚なんだけどね。私は、景虎という男を単なる「善人」や「義理堅いお人好し」だとは到底思えないね。
彼が見せた「義」の裏には、極めて冷静で冷徹な「戦略的狙い」があったんだよ。
そもそも景虎はという男は、内政や自国の領土を守ることにおいては滅法厳しい男でね、実際に交易で越後を賑わせた。一方でね、もし川中島を武田に破られて、信濃が完全に武田の手に落ちてしまえば、越後は一転して無防備な最前線になるでしょう。そうなれば武田の猛威に直接晒されることになる。だからこそ、景虎は川中島で何度も信玄と激突しなければならなかったわけだ。
武田への塩の輸送だってそうだよ。もしね、武田が塩不足で自滅したり今川・北条に降伏したりすれば、今度は越後が太平洋側の強大な勢力と直接全面対決する破目になる。甲斐の武田という防波堤がいてね、自分たちと手頃に拮抗してくれている状態こそが、越後にとって一番も都合が良かったんですよ。
つまりね、私たちが美徳と呼ぶ「義」なんていうものは、無償の優しさや自己犠牲なんかから生まれるものじゃない。お互いの利害が寸分狂わず一致した瞬間にのみ立ち現れる、極めて高度な外交戦略の一種なんだ。景虎はそれを誰よりも理解していたからこそ、「義」なんていう大義名分を掲げて戦略を完遂したんだ。仮に無条件で相手のために動くとしたら、それは「情」なんです。
それでね、私がさっきからこの男を「謙信」ではなく「景虎」と呼び続けているのにも理由がある。彼が出家して「謙信」と名乗ったのは人生のほんのわずかな晩年の期間に過ぎない。内乱を収め、関東や信濃へ何度も出陣し、鬼神のごとく駆け抜けた大部分の時代、彼の名は「長尾景虎」だった。だから私の中では、どうしても景虎という響きのほうがしっくりくるんです。
私は新潟の酒が好きでね。なかでもキリッと辛口の「越乃景虎」が一番好きなのには、なんだか妙な縁を感じてしまうね。
その「景虎」をぐい呑みに注いでね、凛とした冷ややかな辛口を喉に流し込みながら、かつて義と計算の狭間で越後の地を駆け抜けた、あの男の生き様に思いを馳せるのが好きなんだ。
聞くところによれば、景虎は政務が終わると、ひとり自室にこもってね、塩と味噌を舐めながら一献傾けたという。私もそこで杯を交わしたかったものだね。
了
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