人生で大切なことは、近鉄バファローズが教えてくれた。ー日生球場の噴水編ー
「近鉄バファローズ」
この名前を聞くと、胸の奥が少しだけ熱くなります。
すでにこの世に存在しないプロ野球チーム――それでも私は、いまもなおこのチームが大好きです。そして永遠に・・・
なぜここまで惹かれるのか、自分でもうまく説明できません。
それくらい、生活の一部どころか、私の人生そのものに「近鉄バファローズ」は入り込んでいました。
消えたチームなのに、忘れられない――
「近鉄バファローズ」という名前を聞いて、心がざわつく人。
それはきっと、昭和〜平成のはざまで、その球団を愛していた人たちだと思います。
人気もなかったし、強くもなかった・・・
けれど、だからこそ「自分たちだけが知っている特別な存在」だった。
今回はそんな“永遠のローカル球団”への、個人的なラブレターをお届けします。
そんな私の原点とも言える思い出の第1回は
日生球場の「噴水編」。
あの噴水を覚えているあなたも、知らないあなたも、ちょっとだけ寄り道して読んでみてください。
あの頃のワクワクを、あなたに・・・。
こんにちは。
今日は、消えてしまった“ある球団”の思い出を綴りたいと思います。
私は、「近鉄バファローズ」というチームが大好きでした。
よく間違えられるのですが、「バッファローズ」ではなく「バファローズ」。
たった一文字の違いですが、そこには、消滅してもなお愛し続けるファンの“こだわり”があるんです。
どれくらい好きだったかというと、小学校の卒業文集に将来の夢として書いたのが――
「近鉄の応援団になること」
高校卒業後の進路も、迷うことなく
「近鉄(近畿日本鉄道)」を第1志望にしました。
好きなチームと、同じ名前の会社に入りたい。
それくらい「近鉄バファローズ」は、自分の中の“人生そのもの”でした。
日生球場と藤井寺球場――ふたつの本拠地
「大阪近鉄バファローズ」は、2004年をもって球団としての歴史に幕を下ろし、オリックス・ブルーウェーブと合併。
現在の「オリックス・バファローズ」へと引き継がれています。
私はいまでも、ふとしたときに「近鉄」のことを思い出します。
それほど、心の奥に焼きついている存在なんです。
そんな思い出をひとつひとつ紐解いていこうと思います。
今日はまず、「日生球場」のお話から。
かつて近鉄バファローズの本拠地として使われていたのが、
藤井寺球場と日生球場(=日本生命球場)でした。
藤井寺にはナイター設備がなかったため、
昼間は藤井寺、夜は日生球場と、使い分けていたんです。
日生球場は、現在の「もりのみやキューズモール」の場所にあり、
森ノ宮駅からすぐ。大阪城の最寄駅です。
街なかの球場として、アクセスも抜群でした。
あの噴水に、心が沸き立った日々。
日生球場といえば、忘れられないのが「噴水の演出」です。
センター後方のバックスクリーン下――
近鉄の選手がホームランを打つと、ファンファーレとともに
「アスパラ」と書かれた電飾が登場し、
その下から、まるで“ナイアガラの滝”のような噴水が噴き上がる!
あの演出に、子どもながらに胸が高鳴ったものです。
今思えば、球場としてはとても狭くて、かなり古びた雰囲気。
でも、それがまた良かったんですよね。
空席が目立つ日も多かったけれど、
そのぶん、選手がより近くに感じられる――
日生球場は“アットホームな聖地”でした。
そして、記憶の中で輝きつづける
「噴水」がわかる人は、きっと私と同じ昭和世代。
今の若いファンには想像もつかないかもしれません。
けれど、あのとき感じたワクワク、
チームが勝ったときの喜び、
あの場所にあった熱狂や熱気は、今も心に残っています。
いつか誰かが、
「そんな球場もあったんだ」と思い出してくれたら嬉しいなと思いながら――
次回はまた、別の思い出を綴りたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
消えてもなお、心に残るチームがあります。
今日も感謝。そして、最高の人生を。
