曇天の祝日にて
部屋の掃除を久しぶりにした。一週間に1回くらいはと思っているけど、前回は先週の月曜だった気がするからそれよりも空いてしまった。いつもは散歩を終えた後にするけど、今日は散歩の前にした。順序をルーチンとして固定したいけど、時には変えてみたくなることもある。
自分のその時々の気分は尊重しているものの面倒臭いことは基本的には常に面倒臭い。外で働くことなんてその最たることだ。俺が2回目の無職を終えたのは自分自身への強制に他ならない。引きこもり適性がある俺にとって家にずっといることは外にずっと出て他者に関与しているよりは遥かに楽なことである。
今日は祝日のはずだが、マンションの管理人は働いていた。彼は恐らく60歳を超えているように思われるし、近所のスーパーの品出しとして新入りのバッジを付けて働いている人も高齢者のように思える。高齢者でも労働者として稼げると思えるのは安心する。年齢に関係なく働けるならちゃんと稼げるなら無職でも安心できるというものだ。これは無職に限らずだけどね。有職でも勤め先を限定しない方が労働者からすれば気楽だ。不健全な環境は力を持つ人がズルをすることにより培われるものだと思う。
他者や環境は人にとって大きな影響力があるから外的要因を変更することは有効になる可能性があるものの自分にとって最も大きな影響力がある要因は間違いなく自分自身である。基本的には自分自身の言動パターンはループにはなるもののそのループの言動とは少しあるいは思い切って変更してみるしか面倒臭いことに着手する方法はないというのも残念ながら現実的である。
