ガラスの仮面・最終章:紅天女、世界の縫い目<第二部>
第二部:師たちが告げる、本当の「役」
マヤが月影千草の病室を訪れたのは、その数日後の、月だけが妙に明るい夜だった。
「先生…私、少し、おかしいのかもしれません」
稽古中に見た、あの虹色のピクセル。世界の亀裂。マヤが、震える声でその体験を告白すると、月影は、病の影を感じさせない、どこまでも鋭い瞳で、彼女をじっと見つめた。そして、静かに、しかし、雷鳴のように、こう言ったのだ。
「おそろしい子…」
月影は、ゆっくりと、か細い腕を伸ばし、マヤの頬に触れた。
「マヤ…お前が見たのは、疲労が生んだ幻ではない…」
「え…?」
「それは、この世界の、**『縫い目』**よ。我々が、舞台と呼ぶ、この世界の、本当の姿…。紅天女を演じるということは、その役の魂と一体になること。そして、その魂の目を通して、世界の『真実』を見ることなのよ。お前は、その入り口に、立っただけのこと…」
月影の言葉は、答えではなく、さらに深い謎だった。マヤは、その言葉の意味を掴めないまま、ただ、師の、熱を帯びた視線に射抜かれていた。
一方、姫川亜弓は、父であり、彼女の最高のプロデューサーでもある、姫川貢に、冷静な報告を行っていた。
「姫川監督。私たちのスタジオの、物理演算エンジンに、バグがあるようです」
彼女は、稽古中に発見した、影の角度の、コンマ数秒のズレを、データとして提示した。感情的な動揺はない。それは、修正されるべき、システムのエラーに過ぎなかった。
しかし、父の応答は、亜弓の予測を、僅かに、しかし、決定的に裏切った。
「…気づいたか、亜弓」
彼の声には、驚きではなく、むしろ、どこか待っていたかのような響きがあった。
「それは、バグではない。仕様だ」
「仕様、ですって…?」
「お前の技術は、完璧だ。しかし、その完璧さ故に、お前は、この世界の『仕様』そのものに、気づき始めてしまった。お前の完璧な論理が、この世界の、不完全な『記述』の、綻びを見つけたのだ」
父は、静かに続けた。
「亜弓。紅天女とは、ただ完璧に舞う女神ではない。紅天女とは、この世界の『不完全さ』そのものを愛し、その矛盾さえも、自らの演技として、内包する存在なのだ。お前に、それができるか?」
完璧であることだけを、自らの存在意義としてきた亜弓にとって、その問いは、理解不能なノイズのように響いた。
マヤは、「世界の真実を見ろ」と、師に命じられた。
亜弓は、「世界の不完全さを愛せ」と、父に命じられた。
二人の天才は、まだ知らない。
全く異なる、その二つの問いの、その遥か先にある交差点で、彼女たちが、本当に出会うことになる、ということを。
そして、その出会いが、彼女たちの世界の、本当の「幕開け」になるということを。
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