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3.11~経験したからこそ伝えれること~

こんにちは、フォレです。

まもなく、東日本大震災から15年という節目の年を迎えます。

実は私の住まいは宮城県にありまして津波の被害はなかったものの、大きな被害を受けました。

そんな経験をしたからこそ、皆さんに伝えられることがあると思いますし、人より防災・減災について語るのかもしれません。

よかったら、私の昔話を聞いてください(笑)





当時の記憶

当時、私は小学校6年生でした。

1週間後には卒業式を控えており、いつもより早く学校を終えて学校近くの山で遊んでいました。

そんな時、地鳴りと共に大きな揺れに襲われ立っていられませんでした。

山から見た街は大きく倒壊した家屋などは少ないものの、地割れや建物の窓ガラスが割れる音が響き渡っており、恐怖したのを覚えています。

停電はしたものの、道路は大きく損傷することはなく交通には支障が少なかったことは不幸中の幸いでした。

また、偶然家族も近くにおり、すぐ安否確認できたため、安心したのを覚えています。




その後の不安と経験

家の中は物が散乱しており、悲惨な状況でした。

また電気や水道、ガスが止まっており、現状回復するのがいつになるのか分からず、不安になったのを覚えています。

結局、2週間ほどインフラは停止していましたがその間は発電機や貯水タンクを用いて生活しました。

田舎だからできたことだと今は思います。(笑)

学校の卒業式も延期になり、家にずっといた私は家の中を片付けていました。

家の片付けが終わった次は集会所へ向かい、一人暮らしの高齢者や家屋が倒壊した住民が避難しており、その住民への炊き出しを作りました。

田舎だからこそ安否確認できるネットワーク、助け合いが垣間見えた瞬間でした。

また近所の学校に津波被害から逃れた人々が避難してきました。

私は避難者に対しても炊き出しを作り提供し、家の片付けをした際に分けた着なくなった衣類も提供しました。

今振り返ると自分にできることは何かないかと探すようになったきっかけでもありますし、とても貴重な経験になったとも思っています。




備えとマインド

当時、電気が使えず冷蔵・冷凍の食材を急いで消費していました。

いつ電気が復旧するかわからない中、大量に消費するのはとても不安でした。

レトルト食品や缶詰など長期保存ができる物が少なかったと感じます。

その経験もあり、今では実家でカップ麺・缶詰・水をまとめて保管しています。

今では私も定期的に非常食を補充し、ポータブル電源や寝袋などと一緒に保管することでいつでも車に積み込めるように備えています。

また、家族などと避難場所、連絡・移動手段の確認を定期的に実施することをおすすめします。

災害が発生するとスマートフォンも必ず使用できるとは限りません。頼れるのは己の知恵です。(笑)

私は地理を把握し、モバイルバッテリーを常備しています。

そしていつ、何が起きても慌てず、焦らずに行動できるよう心構えを忘れないようにしたいですね。




生きているうちは何度も経験するであろう自然災害、備えある人はすぐ行動できます。侮ることなく、自分の大事なものを守りましょう。

それでは、また!

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