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英文解釈教室の出典を探る(102)

付記の続きの続き

 もうひとつだけ。今回の企画で痛感させられたのは、いわゆる「解釈本」の限界であった。これはとくに英文解釈教室だけの話でなく、あの山貞も、佐々木高政も、ポレポレも、たいてい当てはまる。

再び、例題1.1.1をみてみよう。この例題の直前には、
こんな文章が書かれている。
Language is a universal human activity: necessary in the most casual and in the most thoughtful situations. Through all uses of language there run the same tendencies, and a desire to use it well in one set of circumstances should imply a desire to use it well always.

筆者は、
言語は、universalな行為だという。
casualな状況でも、thoughtfulな状況でも必要な活動である、と。

言語を使うときはいつも、the same tendancy が流れているという。
だから
one set of circumstancesにおいて、言語を使いこなしたいと思ったらば、
それは、always 使いこなしたいと思うということでなる。

例えば、
朝起きて、「おはよう」、というところから始まり、
大学へ行き、友人と会話をし、
ゼミで、ディスカッションをし、
昼休みには、校内でスピーチをする。
午後には、遠くの友人に手紙を描き
次のスピーチのパンフレットの文章を考える。
また授業に出て、教授と会話する
家に帰って、家族と談話
日記をつけて、「おやすみなさい」。

言葉は、人間の活動から切り離すことができない。
だから友人と会話するときでも、
スピーチをするときでも、
手紙を書くときでも、
やっぱり言葉は上手く使いたいものだと思う。

そういう当たり前のことを筆者は言っているに過ぎない。
ここまで読んでから、この例題をやってみてください。
もう難しくもなんともないのではないですか?

例題 1.1.1

A sensitive and skilful handling of the language in everyday life, in writing letters, in conversing, making political speeches, drafting public notices, is the basis of an interest in literature. Literature is the result of the same skill and sensitivity dealing, no longer with everyday occurrances, but with a profounder insight into the life of man.

解釈本の難しさの大半は、この一点に尽きる。
ただ途中から切り取ってあるから。
しかもそれは、どこの誰が、何のために書いたかも知らされない。
本当はそんな文章なら読まない方がいいのかしれない。

しかし、それでは解釈教室が泣いてしまう。
だから別に全部は見なくてもいいので、
せめてタイトル画像出典だけでも見てから、
例題を読んでみてもらえないものだろうか?
余裕があれば、
少し長めに切り取った部分を読んでみてはどうだろう?
全然違う文章に見えてくるはずだから。
そうなれば、もう、解釈など半分できてしまったようなものだ。


また、文字情報に頼る勉強の限界というのも、今回の企画でよく分かった。
筆者の画像をみて、プロフィールが頭に入ると、
もうそれだけで、記憶の残りが全然違うのだった。
これまで、なんて馬鹿馬鹿しいことをしてきたのだろうと思った。

文字と音声だけでは、全然記憶に残らないが、
画像や動画、その他の情報さえあれば、覚えるのは全然苦にならない。
それどころか、勝手に頭に入ってしまう。

一例を挙げれば、例題1.3だ。この文章は職業選びについての、素直な文章で、特にどうということはない。しかし彼が、自らの身体の冷凍保存を選んだ世界初の人物であるという情報が、もう頭にこびりついて離れない。こんな覚えなくてもいい情報まで、嫌でも覚えてしまうのである。

もう少し好ましい例を挙げるとすれば、例題 9.2。この文章は、作曲家アーロン・コープランドによるもの。なら、つべこべいうよりも、その人の音楽を聴くのが一番早い。ぜひ、彼の音楽を聴きながら、彼の文章を読んでみてください。覚えが良くなること間違いなし。

だから、受験生には、ぜひこのやり方を使うことをお勧めする。
もはやただ授業を聞いたり、暗記カードや、音声を繰り返し聞く、
などという、まるで苦行僧のような、
コスパ・タイパの悪い勉強方法にこだわる必要はない。
自分ですこしずつ「ネットワーク」を広げること。
これこそが真に効率のいい勉強方法であり、
本来の「知」のありかたなのだろうと思うのだ。

そう言えば、あの麻雀の神様で知られる、阿佐田哲也も
かつて、こんなことを言っていた。
正解の出る範囲を、コツコツと広げていくことです、と。
きっと、どの世界も同じことなのだろう。


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