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「社不」をめぐる、適応と適合の話


人は環境に失敗したとき、
自分に失敗したと思い込む。

そして早いうちに、自分を「社不」と呼ぶ人がいる。 
“社会不適合者”、という意味だ。

これは一見、冷静な自己認識のようにも見える。
しかし実際には、いくつかの異なる要素が、
一つにまとめられてしまっている状態でもある。

たとえば、

  • うまくいかなかった環境

  • そのときの振る舞い

  • そこから得た評価

これらは本来、別々に扱うべきものだ。
だが「社不」という言葉は、それらをまとめて
「自分の性質」として固定してしまう。


ここで一度、観察の角度を変えてみる。

「社不」と呼ばれる人でも、
すべての場面で機能していないわけではない。

ある場所では動けない人が、
別の場所では問題なく動けることがある。

ある仕事は続かないのに、
特定のバイトだけは続いている。

このとき多くの場合、
それは例外として処理される。

だが、別の見方もできる。

それは例外ではなく、
「条件が合ったときには機能する」という傾向が、
明確に現れている状態だと考えられる。


ここで問題になるのが、「適応」という考え方である。

社会に合わせる。
環境に自分を合わせる。

この考え方は、多くの場面で有効だ。
しかし同時に、ひとつの前提を含んでいる。

それは、「この社会に適応すること」が
目標として固定されている、という前提だ。

この前提のもとでは、問いはこうなる。

「自分は社会に適応できているか」

そして、ここから外れたとき、
人は自分を「不適合」と捉える。

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