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akisuke0925
「社不」をめぐる、適応と適合の話
人は環境に失敗したとき、
自分に失敗したと思い込む。
そして早いうちに、自分を「社不」と呼ぶ人がいる。
“社会不適合者”、という意味だ。
これは一見、冷静な自己認識のようにも見える。
しかし実際には、いくつかの異なる要素が、
一つにまとめられてしまっている状態でもある。
たとえば、
うまくいかなかった環境
そのときの振る舞い
そこから得た評価
これらは本来、別々に扱うべきものだ。
だが「社不」という言葉は、それらをまとめて
「自分の性質」として固定してしまう。
ここで一度、観察の角度を変えてみる。
「社不」と呼ばれる人でも、
すべての場面で機能していないわけではない。
ある場所では動けない人が、
別の場所では問題なく動けることがある。
ある仕事は続かないのに、
特定のバイトだけは続いている。
このとき多くの場合、
それは例外として処理される。
だが、別の見方もできる。
それは例外ではなく、
「条件が合ったときには機能する」という傾向が、
明確に現れている状態だと考えられる。
ここで問題になるのが、「適応」という考え方である。
社会に合わせる。
環境に自分を合わせる。
この考え方は、多くの場面で有効だ。
しかし同時に、ひとつの前提を含んでいる。
それは、「この社会に適応すること」が
目標として固定されている、という前提だ。
この前提のもとでは、問いはこうなる。
「自分は社会に適応できているか」
そして、ここから外れたとき、
人は自分を「不適合」と捉える。
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