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知らない道は選ぶことができない――「ふるさと教育」という美しい檻のなかで、私が子どもたちに渡したかったもの

「それを選んだのはあなたでしょう」

人生の選択について、自己責任という言葉とともにそう突き放されることがある。
もちろん、自分の人生は自分で選んでいくものだし、その結果に向き合うことも生きることの一部だ。

でも、私は強烈な違和感を抱いている。
その人は本当に、十分な選択肢を知った上で、すべてのカードを並べられた上でそれを選んだのだろうか。


■ 知らない道は、選択肢にならない

人は、知らないものを選ぶことはできない。
存在しているものでも、自分の世界に入ってこなければ、それはこの世に無いのと同じだ。
「やりたいことがなかった」のではない。
「大人の都合で、知らされている世界が狭すぎた」という事も考えられるのではないか。

私は地方で育った。身近な大人の仕事、家族の仕事、地域で見かける仕事。それが私にとっての世界のすべてだった。もちろん、どれも大切な仕事だ。
だけど大人になって、自分で動けるようになって初めて、世の中にはもっと多様な「お金と仕事の現実」があることを知った。

「ああ、こんな世界もあったんだ」と後から気づいた時、少しの悔しさが滲んだ。

私は地元を愛することや、地域に貢献すること自体を否定したいわけではない。
知った上で「ここで生きたい」と選ぶことは、とても尊い選択だと思う。

だからこそ、今でも現在進行形で全国の義務教育現場で行われている「ある教育」に、私は子どもたちが小学生だった頃から、もやもやと違和感を感じてきた。


■ 「ふるさと教育」と、国の思惑

学校のプリントでよく見かける「ふるさと教育」や「地域への愛着を育む」という美しい言葉。地域の伝統行事を体験し、地元の大人たちの仕事に触れる。一見、素晴らしい情操教育に思える。

だけど、あえて言いたい。

これは子どもたちの純粋な未来のためなんだろうか⁇

文部科学省や内閣官房が発行している、実際の公文書(施策資料や閣議決定)を紐解けば、国や自治体には人口減少や地域維持という大きな課題がある。その中で、地域への愛着や定着を促す施策が進められている。ただ、その目的と子ども本人の人生の選択肢が、いつも同じ方向を向いているとは限らない。

「子供たちの地域への愛着、地域の担い手の増加」
「地域と学校がパートナーとして連携・協働し、地域全体で子供たちの成長を支え、『地域産業を担う人材』を地域の中で育成し地元に定着させることが必要

出典:文部科学省
『学校を核とした地域力強化プラン』より

「地方の学校において、地域の産業界等と連携し、地域の産業や魅力、課題を学ぶ機会を充実させることにより、若者の地域への愛着を高め、地方への定着・還流を促進する」

出典:出典:内閣官房・内閣府「まち・ひと・しごと創生総合戦略」等の地方創生関連施策資料より


国には国の事情がある。
日本の全自治体の約半数が「消滅可能性都市」に指定されるなか、地方のインフラや第一次産業を維持するためには、誰かをその土地に縛り付け、労働力として、納税者として定着させなければ自治体が破綻する。だから必死なのだ。

でも、それをまだ世界の広さを何も知らない、判断力も未熟な義務教育の子どもたちに、「豊かな心を育むため」と優しさの仮面を被せて刷り込むのはフェアじゃない。

都会や海外で暮らす選択肢、大企業や外資企業で働くこと、起業、投資、不動産……そうした外の世界のカードを一切見せないままで、

「地域に貢献しよう」

と伝えるのは、教育ではなく大人の「誘導」であり、選択肢の搾取になりかねない。人口減少という社会課題への対応が、いつの間にか子ども本人の選択肢を狭める危険性を孕んではいないだろうか。


■ 「やりがい」で穴埋めされる15歳の未来

さらに最近、強烈な違和感を覚えるのが、人員不足という理由で高校に「福祉科」を設置・拡充し、介護福祉士などの資格を持つ若者を増やそうとする社会の流れだ。この高校の「福祉科」は、今まさに国を挙げて強力に推進されている。

これを見て、私はかつての「衛生看護科」の歴史を思い出す。戦後の深刻な看護師不足を補うために、高校に衛生看護科を置き、「准看護師(准看)」へ誘導したように見えるあの構造。それと全く同じ流れが、今の「福祉科」の拡大にも透けて見える。大人の社会の都合、システムの穴埋めのために、15歳の子どもを「やりがい」という綺麗な言葉でレールに乗せてるように思える。

医療や介護や福祉の仕事は、社会になくてはならない、本当に価値のある仕事だ。私もその一員である。
しかし、税金や保険財源に縛られているため、どれだけ個人の努力やビジネスとしてのアイデアがあっても、それが給料に直結しにくいという冷徹な構造的現実がある。
だからこそ、その価値だけではなく、待遇やキャリア形成の現実も含めて伝えた上で選べる環境であってほしい。

大人は「やりがいがあるよ」「素敵なお仕事だよ」と良い部分だけを語る。

だけど本当に見せるべきなのは、生々しい年収の比較データや、業界のリアルな構造といった「生の声」ではないのか。
綺麗ごとだけで囲い込まれた子どもたちが、20代、30代になって「もっと稼ぎたい」「違う世界に行きたい」と思ったとき、初めて社会の壁に気づくのでは遅すぎるのだ。


■ レールを乗り換える「労力」

「やってみて、違ったらやり直せばいい」
世間は簡単にそう言うし、確かに今の日本もキャリアチェンジがしやすい時代になりつつある。

だけど、転職を経験したアラフィフな私はあえて声を大にして言いたい。
「後からの軌道変更は、ものすごい労力が必要だよ」と。

最初のスタートラインで、多様な選択肢を「知っている」のと「知らない」のとでは、その後の人生の難易度が違いすぎる。


■ 「〇〇だから」とレッテルを貼り、人権を軽視する大人たち

私のベースにあるのは、「子どもだから」「〇〇だから」というレッテルを貼って、その人の一人の人間としての価値を勝手に歪め、コントロールしようとする空気への強い憤りだ。子どもを一人の意思を持つ人間として尊重するという感覚は、日本は不十分だ。(何故⁇)

私は日本という国が好きだ。
比較的安全だし、何より「わびさび」のような美しい文化がある。けれど、私が日本を好きだと思えるのは、様々な情報に触れ、外の世界と「比較」したアラフィフの現時点での結論だ。選択肢があった上での、私自身の取捨選択の結果なのだ。

なのに、最初から他のカードを隠して「ここを大好きになろうね」と囲い込むやり方は、大人としてあまりにも不誠実だと思う。

これだけ情報が溢れる時代、生きていくためには自分で取捨選択する力が必要だ。しかし、まだ学校と家庭という狭い世界しか持たない多くの小学生に、最初から歪んだカードだけを渡して「自分で見極めろ」というのは無理な話だ。

大人の都合を解決するために、子どもの視野を最初から狭める…それは一人の独立した人権を持った人間に対する、大人としての欺瞞(ぎまん)ではないか。もちろん、関わっている一人ひとりの大人が悪意を持っていると言いたいわけではない。問題は、個人の善意だけでは変えられない構造があることだ。


■ 私が子どもたちに手渡したかったもの

私自身はもともと地方から地方の大学へと進学し、そのまま今の場所に定着した。正直に言えば、私にはいわゆる「郷土愛」のようなものは薄い。むしろ、もっと色んなところに行って、色んな世界を見てみたいという、尽きない好奇心が自分の中にある。

だからこそ、子供たちが小さかった頃、親のエゴだけど、できる範囲で
「世界にはたくさんの生き方や選択肢がある」ということを伝えたいと思った。大人の都合で用意されたレールの上だけで生きてほしくなかったから。

子どもたちの

「地域を愛する心」
「誰かの役に立ちたいという善意」

を利用して、大人の都合、社会の歪みの穴埋めをさせようとする構造には憤りを感じる。

誰かの人生を「自己責任」と切り捨てる前に、私たちは社会のシステムを疑うべきだ。その人には本当に、別の道に出会う機会が公平に与えられていたのか、と。

現代では親や社会が、子どもの人生を決めることはできない…はずだ。
もちろん、彼らの人生は彼らのものだ。
色々な世界を知った上で、

「やっぱりこの仕事がいい」
「やっぱり地元が好きだ」

と選ぶなら、それは最高の選択だし、結果は同じでも人生の納得感が全く違う。

大人がすべきことは、都合のいい檻に子どもを優しく囲い込むことではない。

リアルなお金の現実も、世界の広さも、できる限りのカードをテーブルに並べてみせること。

そして

「あなたがどんな選択をしようとも、少しでもあなたらしく生きていてほしい✨」

と、願うことだけだと思う╰(*´︶`*)╯

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