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Yohji Yamamotoを着るワケ

「服装の乱れは心の乱れ」と「人を見た目で判断してはいけない」は、相反するようだがどちらもその通りだと思う。
特に服は、その人のその時の好みが反映されやすいアイテムのひとつで、身なりひとつで、どんな暮らしをし、どんな性格で、どんな心の在り様なのか何となく想像することができる。
単純に言えば、目立ちたくない人は普段原色やラメなどを選ばないだろうが、その人が自分を変えようと思ったらあえて華やかな色やデザインを選べば違う印象を人に与えることができるということだ。
つまり、服は表現物のひとつなのだと思う。

私は時々Yohji Yamamotoを着る。
自分の収入や暮らしから言えば、身の丈には全くあっていない。かなり頑張って購入している。
先日、1着セーターを購入し、はじめて着用して外出してきた。

私の経済状況に合い、かつ私の体形や肌の色や身体の動かし方に合うセーターはもっとあるだろう。
しかし、Yohji Yamamotoに袖を通すと高揚感とは別の何かを感じるのだ。
それは、たとえば言われなき差別に屈しない自分、負けそうになっても必死に抗い続ける自分、弱い人に手を差し伸べられる優しい気持ち、繊細に物事を捉える視点、何ものにも縛られない自由な心、そういった普段自分が手に入れたいものを代わりに体現してくれるようなものである。
”こうありたい”と思う理想の自分を纏う、そんな感覚だ。
だいたい、Yohji Yamamotoを着てメソメソなんてしていられない、かと言って傍で困っている人をスルーするような恥ずかしい自分では服に対して恥ずかしいではないか。

本当は、Yohji Yamamotoを着てフラッと近くのモールに出かけるとか、なんならコンビニに行ってしまうとかするほうがお洒落なのかもしれないが、私はそれをしない。
それなりの場所に出かけるとき、この服の力を借りて1つステップアップした私になる。
服を着る度にYohji Yamamotoは私が”理想とする私”を授けてくれる気がする。

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