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脱エホバの証人から15年!宗教二世として生まれた元JWの遊びと回復の記録


1. はじめに ―― これは、誰かの未来のための記録

今日は、これまであまり語ってこなかったことを書く。

私は「エホバの証人(Jehovah’s Witnesses)」という、キリスト教系の新興宗教の家庭に、2世として生まれた。いわゆる“宗教2世”だ。以後、JWと略す。長期間にわたる鞭打ちを経験したDVサバイバーでもある。
22歳で脱退し、社会で普通に働き、世界一周をして、「世の人」と呼ばれていた人と結婚し、子どもも持った。今はタイ・チェンマイで、ゆるりと、楽しく暮らしている。

特に隠しているわけじゃない。
聞かれたら話すけど、飲み会で盛り上がるような話題じゃないし、あんまり語る機会はなかった。

  • 両親ともにエホバの証人(現役)

  • 鞭あり、厳しめの“神権家族”で育つ

  • バプテスマ済み、正規開拓者まで経験

  • 現在、脱退から15年が経過

  • 両親からは忌避中

ひとつはっきりと伝えたいのは、私はすべての信仰を尊重するということ!エホバの証人を批判するために書いたんじゃない。宗教は個人の選択だし、個々人の信仰心には今も敬意を払っている。

これはJWであることを選ばなかった私の、回復に至る15年の険しくも楽しい道筋の記録。そして、今も宗教虐待、二世問題の当事者の誰かに届いてほしいnoteです。


2. “普通”が怖くて恋しかった

学校では、「宗教やってる子」として知られていた。
クリスマスや七夕、誕生日は異教徒の風習で祝えない。
身体に鞭のあざがあるから、体育で着替えるのが恥ずかしい。
土日は「集会」と「奉仕活動」があるから遊べない。2世ならわかると思うけど、くそダサい服(JWはドレスコードも決めれている)でクラスメートの家に布教に行くの、あれ本当に地獄。

でも学校では必死に「普通っぽく」いようとしていた。
そんな子ども時代だった。


「将来どうするの?」って聞かれても、
答えは「立派な開拓者になります」以外の選択肢なくて絶望だったw
萩原朔太郎の「絶望の逃走」に、勝手にリフつけて、こっそり行ったカラオケでシャウトしたことがあるw

3. JWと学校の二重生活

それでも当時の私は、集会と奉仕は欠かさず、大会でスピーチもしてそこそこ「模範的な姉妹」やってたと思う。
親の視線にはすごく敏感。学校モードとJWモードの二重生活を続けるには、たくさんの嘘を重ねなきゃいけなかった。放課後、テスト勉強終わらせるって言って本当は友達と遊ぶ。集会が始まるギリギリの時間まで。

辻褄を合わせるために、いつも頭をフル回転させてた。身体は緊張状態だった記憶がある。今は正直に生きられるようになったぶん、ずいぶん力が抜けた。ちょっと平和ボケしてるかも、、、

4. やめたきっかけ、親からの忌避


20歳になったばかりのある日、親にうっかり携帯を見られた。
メッセージは消したはずだった。けれど、彼氏の存在がバレた。

親の目線を前に、時間が止まった。
身体はバチバチに緊張して、心臓が強く脈打つ。脳はフル回転。
でも、表情は動かさなかった。ずっと演じてきたから、"平静な仮面"はもう体の一部だった。

この瞬間、はっきり思った。

「今やめなかったら、一生やめられない」

毒を食らわば皿まで。破綻するなら、いま。
この日、私ははじめて言葉にした。
「エホバの証人を、やめたい」と。

脱退という選択は「世界の喪失」と直結していた。
「忌避」(脱退した人と一切の連絡を取らない。家族であっても)を是とする組織の外に出ることは、家族やコミュニティとのつながりを断ち切ることでもある。 そこが最大の障害で、やめたくてもやめられない人たちは、今もたくさんいると思います。

声を上げてから、実際に抜けるまで1年以上。
携帯は取り上げられ、外出も制限され、長老たちや親との終わらない話し合い。私を慕って心配してくれるJWの子たちもいて、その純粋さが、かえって胸に突き刺さった。この期間が一番辛かった。
こっそり夜中にSTANCE PUNKSとSex PistolsとNIRVANAとDark Lunacyを聴いて乗り越えた。そばにいてくれたのはいつも音楽!YEAH!


膨大な話し合いの中で、両親に「私が幸せになることと、JWで居続けること、どっちが大切?」そう問いかけた。
「JWでいること」答えが返ってきた。
ああ、やっぱりこの人たちはエホバ第一だよねって、静かに諦めた。
同時に、私は絶対やめて自分を幸せにしたるで!みたいな覚悟を決めた気がする。

現状としては、親とは縁が切れています。忌避真っ最中!w
おかげで、ある意味メンタルは安定した。
玄関前に親が立ってて心臓バクバク…みたいなことも、もうない。


現役のJWにとって「忌避」は、日常を丸ごと失うような怖さだと思う。
でも、大丈夫。
JW外の世界は、思っていたより、ずっと優しかった。
そして、これからも合う人たちと、きっとたくさん出会える。

会社で働き出して「世の人って、めっちゃ優しいやん〜!!」ってなった。
社会常識が欠落していた若い私を、職場のランチ仲間のおばちゃん達が支えてくれた。mixiの元JWコミュで出会ったお姉さんが、たくさん話を聞いて遊びに連れて行ってくれた。義両親も実の娘のように扱ってくれている。ほんとありがたい!

この先は、“抜け出したあとの道をどう歩いたか”の記録。
世界一周や踊り、遊びの中で身体の声を取り戻し、トラウマから回復し、
私自らも親となり「親子」という関係性を再定義していく過程を書いています。

現役の方や、信仰に揺らぎがある方へ:ここで引き返しても構いません。 有料記事であることは、ひとつの防波堤です。必要な人だけが、この先を読んでください。

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