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コピー機だけじゃない!ゼロックスが生み出した「未来」の歴史


ゼロックスの歴史

ゼロックスは単なる「コピー機メーカー」ではありません。
その歴史は、大きく分けると、

  1. 紙を簡単に複製できるようにした会社

  2. オフィス機器の巨大企業

  3. 現代のパソコン技術を先取りした研究組織

という三つの物語から成り立っています。

1.原点は写真印画紙会社だった

ゼロックスの前身は、1906年に米国ニューヨーク州ロチェスターで設立された**ハロイド社(The Haloid Company)**です。

当初は写真用の印画紙を製造する小規模な会社で、後のようなコピー機メーカーではありませんでした。社名は1958年に「ハロイド・ゼロックス」、1961年に現在の「ゼロックス・コーポレーション」へ変更されています。(Xerox Corporation)

2.チェスター・カールソンと乾式複写の発明

ゼロックスの歴史を決定的に変えたのが、米国の特許弁護士兼発明家、チェスター・カールソンです。

カールソンは仕事上、大量の特許文書を複写する必要がありました。しかし当時の複写方法は、写真撮影や湿式の薬品処理を伴う、手間も費用もかかるものでした。

そこで彼は、静電気と光を利用して紙に像を移す方法を研究します。1938年10月22日、ニューヨークのアストリアにあった簡素な実験室で、「10-22-38 ASTORIA」と書かれた最初の乾式複写画像を作ることに成功しました。当初は「電子写真法」と呼ばれていた技術で、後にゼログラフィーと命名されます。(アメリカ歴史博物館)

ゼログラフィーの基本原理

感光体の表面に静電気を帯びさせ、原稿に光を当てて電荷の模様を作り、そこへ粉末状のトナーを付着させます。そのトナーを紙へ転写し、熱で定着させる仕組みです。

薬液に浸す必要がないため、「乾式」の複写技術でした。

ところがカールソンは、IBMやGEなどを含む多数の企業に技術を持ち込みましたが、実用性を理解してもらえませんでした。20社以上から断られた後、1944年に研究機関バテル記念研究所と契約し、1947年にハロイド社が事業化へ乗り出します。(アメリカ歴史博物館)

3.世界を変えた「ゼロックス914」

ハロイド社は1949年、最初の商用ゼログラフィー装置「モデルA」を発売しました。しかし操作が複雑で、まだ一般的なオフィス機器とはいえませんでした。

転機は1959年に登場したゼロックス914です。

914は、特殊な感光紙ではなく、普通の紙へ自動的にコピーできる画期的な機械でした。最大9×14インチの原稿に対応したことから「914」と命名されています。1台で月10万枚を複写できる能力を持ち、文書複写業界を一変させました。(アメリカ歴史博物館)

企業はタイプライターで同じ文書を何度も打ち直す必要がなくなり、会議資料、契約書、社内通知、論文などを大量に配れるようになります。

914の成功により、ハロイド社は小さな印画紙会社から急成長し、1961年には正式にゼロックス・コーポレーションとなりました。コピー機の利用料金や消耗品、保守サービスから継続的に収益を得る事業モデルも、同社の成長を支えました。(Xerox Corporation)

4.日本では「富士ゼロックス」が誕生

1962年、富士写真フイルムと英国ランク・ゼロックス社が折半出資し、富士ゼロックス株式会社を設立しました。

同年、日本でも「富士ゼロックス914」の販売が始まります。その後、富士ゼロックスは日本およびアジア太平洋地域で、複写機、複合機、プリンター、文書管理サービスを展開しました。(Fujifilm)

2001年には富士フイルム側の出資比率が75%となり、2019年には富士フイルムがゼロックス側の持分をすべて取得。合弁関係は終了し、2021年に社名を富士フイルムビジネスイノベーションへ変更しました。

したがって、現在の富士フイルムビジネスイノベーションは、米国ゼロックスとは別の企業グループです。(富士フイルム)

5.パソコンの未来を作った「ゼロックスPARC」

コピー機で大成功したゼロックスは、次の情報産業を研究するため、1970年にカリフォルニア州パロアルトへ**パロアルト研究所(PARC)**を設立しました。

ここでは、後のコンピューター社会を形作る技術が次々と開発されます。

代表的なのが、1973年に完成した実験用コンピューターXerox Altoです。Altoは、ビットマップ画面、マウス、アイコン、移動可能なウインドウ、文書を画面表示どおりに印刷するWYSIWYGなどを、一つのシステムとして統合しました。(CHM)

PARCではこのほかにも、

  • イーサネット

  • レーザープリンター

  • オブジェクト指向言語Smalltalk

  • 電子メール

  • ネットワーク接続されたワークステーション

など、今日のパソコンやオフィスネットワークにつながる技術が研究されました。(CHM)

6.「未来を発明したが、商売にできなかった」のか

ゼロックスについては、しばしば「GUIやマウスを発明したのに、Appleに奪われた」と説明されます。

実際、1979年にはスティーブ・ジョブズらAppleの技術者がPARCを訪れ、AltoのGUIを見学しました。この経験は、Apple LisaやMacintoshの開発を後押ししました。ただしAppleも独自にGUI研究を進めており、単純に完成品を盗んだという話ではありません。(CHM)

また、ゼロックス自身も何もしなかったわけではありません。1981年には、Altoの技術を発展させた商用オフィスシステムXerox Star 8010を発売しています。

Starには、デスクトップ型GUI、マウス、イーサネット、ハードディスク、文書作成ソフトなどが搭載されていました。しかし高価な業務用システムだったため、後に低価格で登場したMacintoshほど広く普及しませんでした。(IEEE Spectrum)

つまりゼロックスの失敗は、「技術を完全に無視した」というより、研究成果を安価な大衆商品へ変えることが苦手だった点にあります。

7.コピー機独占の終わりと事業転換

1970年代後半以降、キヤノン、リコー、ミノルタなど日本企業が、小型で安価なコピー機を投入しました。オフィスの複写機市場は激しい価格競争に入り、ゼロックスの圧倒的優位は崩れていきます。

さらに1980年代から2000年代には、文書が紙からデジタルへ移行しました。ゼロックスも単体コピー機から、

  • デジタル複合機

  • レーザープリンター

  • 業務用デジタル印刷機

  • 文書管理

  • 印刷業務の受託

  • IT・業務プロセスサービス

へ事業を広げていきます。

2010年には業務処理サービス大手ACSを買収してサービス事業を大幅に拡大しましたが、2016年末にその事業をConduentとして分離。ゼロックスは再び印刷・文書技術を中心とする会社へ絞り込みました。(Xerox Newsroom)

8.現在のゼロックス

歴史的研究所PARCは2002年に子会社化された後、2023年に研究機関SRI Internationalへ移管されました。ただしPARCとゼロックスは共同研究を続ける方針を示しています。(SRI)

一方、ゼロックス本体はオフィス向け印刷、複合機、業務用印刷、マネージド・プリント・サービス、文書のデジタル化などを中心に事業を続けています。2025年にはプリンター大手Lexmarkの買収を完了し、特にA4判プリンターやアジア太平洋地域での事業基盤を強化しました。(Xerox Corporation)

ゼロックスの歴史的な意味

ゼロックスの最大の功績は、コピー機を作ったことだけではありません。

紙の情報を誰でも短時間で複製できるようにしたこと、そしてPARCを通して、コンピューターを文字列だけの機械から、画面を見て直感的に操作する道具へ変えたことです。

一方で、優れた発明があっても、それを適切な価格・市場・販売方法と結び付けなければ、別の企業が普及させることになる――という、技術企業にとって象徴的な教訓も残しました。

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