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「言葉どおりの『大丈夫』 - 臨在を招く賛美」【証しエッセイ】

開所記念聖会のはずの会堂は、開始直前になっても落ち着く気配がありませんでした。
祈祷院の院長は、来客のたびに、その人のところに駆け寄って、思い出話を大声でしています。
座席では、久しぶりに会う牧師同士が、近況の報告なのか、にぎやかに会話をしています。
聖会の後の食事会のために用意している料理の匂いが、会堂にまで流れ込んでいます。
会堂に入らず、いつまでも駐車場で話し込んでいる人たちもいます。

騒然とした会堂の中で、パワーポイントの操作担当になっていた私はパソコンの前で、「せっかくの開所記念聖会なのに、なんで、こんな状態に?」と、失望感を抱きながら、祈っていました。
すると、「準備賛美が始まれば、大丈夫」という確信が、神様から与えられたのです。

準備賛美の担当は、E子さんです。
E子さんは、有名なゴスペルシンガーではなく、ライブをしているわけでも、CDを出しているわけでもありません。
バンドを率いているのでもなく、アコースティックギター一本で、祈祷院での小さな礼拝で賛美リードをしてくれる人です。
見た目も、特別華やかというわけでもなく、普通の主婦のような中年女性(実際に彼女は主婦なのですが)なのです。
しかし、E子さんの賛美には神様の臨在があり、会衆の心を、神様に向けることができるのです。
祈祷院の礼拝は、彼女の賛美が支えていたと言ってもいいでしょう。

もちろん私は、神様がE子さんに与えた、すばらしい賛美の賜物を知っていました。
しかし、これほど騒然とした会堂で、まったく心が向いていない会衆を前に、何ができるのだろうかと、不安も抱いていたのです。

聖会の開始時刻になり、私はパワーポイントを操作して、「準備賛美」という画面を映しました。
司会者が、「準備賛美の時間です。着席していただき、賛美を捧げましょう。」と、アナウンスをしましたが、会堂は、依然として騒々しいままです。
E子さんが、マイクの前に立ち、ギターを奏で始めました。
しかし、会衆は、自分たちの会話にふけっています。
「あぁ、賛美が始まっても、こんな状態か。さっきの神様からの確信は、聞き違いだったのか。」と、私は落胆しました。

ところが、E子さんが歌い始めた瞬間、第一声を発したとたん、会堂の空気が一変しました。
比喩ではなく、実際に空気の色が変わったように、会堂全体が光を帯びたように、私には思われました。
彼女は大声を張り上げたわけでも、特別な技巧を見せたわけでもありません。
いつも通りの、優しく静かで、それでいて神様の臨在を招く賛美でした。

会衆は、神様の前に、静まり返りました。
特別賛美の奉仕のために来場していたゴスペルシンガーは、涙をぼろぼろ流しています。
神様の臨在が、会堂を支配したのです。
パワーポイントを操作する私も、あふれてくる涙をこらえるのが、大変でした。

聖会は、神様の臨在の中で、祝福あふれたものになりました。
あの混沌とした開幕が、まるで嘘のようでした。
「準備賛美が始まれば、大丈夫」という神様の言葉は、そのとおりに実現したのです。

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