🏛 官僚はいつから“エリートごっこ”になったのか?
「官僚」という響きに、かつては人々が一目置いた時代があった。
東大の正門をくぐり、国家公務員試験を突破した者だけが辿り着ける“頭脳の砦”。
そこに座る若者たちは「選ばれた人間」、つまりエリートと呼ばれた。
だが、いまやどうだろう。
長時間労働に追われ、国会答弁の資料を徹夜で直し、
政治家の失言の尻ぬぐいをさせられる。
給料は外資系の半分以下、国民からは「税金泥棒」と揶揄される。
それでも「国家を支えている」という顔を崩さず、
気づけばそれは“エリートごっこ”にしか見えなくなった。
戦後から昭和の終わりまでは、確かに官僚はエリートだった。
国づくりを担う使命感
親が子に自慢できる肩書き
高い社会的信頼と安定
大蔵省、通産省、外務省──。
どの役所も、国家の行く末を設計する中枢だった。
「官僚になれば日本を動かせる」
そんな幻想が、多くの若者を駆り立てていた。
バブル崩壊と失われた30年が、すべてを変えた。
金融政策の失敗で「無能」と叩かれる
天下り問題で「特権階級」と見られる
政治主導が叫ばれ、官僚の裁量は縮小
かつては「設計者」だった彼らは、
いつのまにか「雑務係」として国会に縛られるようになった。
社会の価値観は「グローバルで稼ぐ企業人」や「起業家」にシフトし、
官僚の栄光は古びた額縁の中に押し込められていく。
それでも「自分たちは国家を担う精鋭だ」という顔を崩さない。
周囲からは尊敬されないのに、自分たちはまだエリートのつもりでいる。
だからこそ“エリートごっこ”と揶揄されるのだ。
エリートとは、社会が認めた一握りを指す言葉だ。
自分で名乗り出した瞬間に、それはただの虚構になる。
官僚は、いつからか「国を動かす精鋭」ではなく、
「かつてそう呼ばれた人々の亡霊」となってしまった。
昔々、官僚は確かにエリートだった。
だが令和の今日、残っているのは“ごっこ遊び”の余韻だけかもしれない。
