真空では金属同士がくっつく
副題:木星探査機ガリレオのアンテナ事故と、境界が消える冷間溶接
※ガリレオ探査機の高利得アンテナ事故は、「宇宙空間で金属同士が冷間溶接した事故」と紹介されることがある。ただしNASAの調査では、潤滑膜の摩耗、金属表面の凝着やかじり、ピンの変形、摩擦の増大、駆動機構のトルク低下が連鎖した複合的な事故と考えられている。本記事では、その違いも含めて整理する。
はじめに|何もないから、くっついてしまう
宇宙空間では、金属同士が溶けていないのに接合してしまうことがある。
冷間溶接と呼ばれる現象である。
溶接という言葉からは、高温の炎や火花を想像する。
しかし冷間溶接では、金属を液体になるまで加熱する必要はない。
二つの清浄な金属面が強く密着すると、接触面をまたいで金属結合が生じる。別々だった金属が、局所的に一つの物体のようにつながってしまうのである。
不思議なのは、この現象が真空中で起こりやすくなることだ。
真空には、ほとんど何もない。
何もないなら、何も反応しないように思える。
ところが実際には、
何もないから、何も起きないのではない。
邪魔するものがないから、むしろ結びついてしまう。
木星探査機ガリレオの高利得アンテナ事故は、この宇宙特有の問題を考える入口になる。
だが、この事故の本当の面白さは、「宇宙で金属がくっついた」という一点だけではない。
宇宙で発生した故障でありながら、その原因の多くは、打ち上げ前の地上で蓄積されていたのである。
1|ガリレオは、何をする探査機だったのか
ガリレオは、木星とその周辺を長期間にわたって調査するために開発された探査機である。
木星の大気、磁場、放射線環境だけでなく、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストといった巨大衛星を観測することも重要な目的だった。
探査機には、カメラや磁力計、粒子検出器など、さまざまな観測装置が搭載されていた。
しかし、観測装置だけでは探査は成立しない。
探査機がどれほど重要な発見をしても、その情報が地球へ届かなければ、人類は発見を知ることができないからだ。
探査機のカメラや観測装置が「目や耳」だとすれば、アンテナは、その経験を地球へ語るための「口」である。
ガリレオには、その主回線として直径4.8メートルの高利得アンテナが搭載されていた。金属メッシュを18本の骨で支える、傘のような構造だった。最大で毎秒約13万4000ビットのデータを地球へ送る設計になっていた。
2|高利得アンテナとは何か
アンテナの「利得が高い」とは、電波を魔法のように増やすという意味ではない。
電波を広い範囲へ均等に放出するのではなく、特定の方向へ集中させる能力が高いという意味である。
裸電球とサーチライトを考えると分かりやすい。
裸電球は周囲全体を照らせるが、遠くの一点を明るく照らすことには向いていない。
一方、サーチライトは光を狭い方向へ集中させることで、遠くまで届けられる。
高利得アンテナも同じように、探査機の電波を地球の方向へ集中させる。
木星と地球の距離は、互いの公転位置によって大きく変わるが、いずれにしても数億キロメートル規模である。
その距離から画像や観測データを送るには、地球の方向を正確に狙い、限られた電力を効率よく使わなければならない。
高利得アンテナは、木星を観測する装置ではない。
しかし、それがなければ、観測した木星を地球へ持ち帰ることが難しくなる。
探査とは、目的地へ到達することだけではない。
到達し、観測し、その経験を地球へ返すところまでを含んでいる。
3|開かなかった傘
ガリレオの高利得アンテナは、打ち上げ時には傘のように折り畳まれていた。
巨大なアンテナを開いたまま打ち上げれば、ロケットの振動や加速に耐えられない。またガリレオは、金星や地球の重力を利用して木星へ向かう軌道を取ったため、航行初期には太陽の近くを通る必要があった。
そのためアンテナは、太陽の熱から守るためにも収納状態のまま維持され、十分に太陽から離れてから開く予定だった。
1991年4月、地上から展開命令が送られた。
モーターは動いた。
だが、アンテナは完全には開かなかった。
18本ある骨のうち3本が収納位置に残り、アンテナは片側だけが閉じた、ゆがんだ傘のような形になった。正しい放物面を作れなかったため、高利得アンテナとして使用できなくなった。
単なる「傘の故障」ではない。
木星へ到達して観測できても、その成果を十分な速度で地球へ送れなくなる可能性が生じたのである。
高利得アンテナなら毎秒約13万4400ビットで送る計画だったが、低利得アンテナを従来の構成のまま木星で使用した場合、通信速度は毎秒10ビットほどまで低下すると見積もられた。
毎秒10ビットでは、文字に換算しても一秒に数文字程度である。
画像を大量に送ることなど、ほとんど不可能に思える速度だった。
4|地上では、なぜ金属同士がくっつかないのか
金属の内部では、原子が自由電子を共有することで金属結合を形成している。
それなら、二つの金属を押し当てれば、そのまま一体化してもよさそうに思える。
しかし地上では、金属同士を重ねても普通は溶接されない。
なぜなら、金属の表面には目に見えない境界層があるからだ。
空気に触れた金属表面には、酸化膜ができる。
そのほかにも、水分、油脂、炭化水素、ほこり、潤滑剤などが吸着している。
見た目には金属と金属が接触していても、原子レベルでは、
金属|酸化膜や汚れ|酸化膜や汚れ|金属
という構造になっている。
さらに、金属表面は完全な平面ではない。
顕微鏡で見ると山と谷のような細かな凹凸があり、実際に接触しているのは、表面のごく一部にすぎない。
酸化膜や汚れは、金属原子同士が直接接近するのを防ぐ境界として働いている。
つまり、金属が別々の物体でいられるのは、金属そのものが互いを拒んでいるからではない。
その間に、薄い膜が存在するからである。
5|冷間溶接が起きる仕組み
金属同士が強く押しつけられたり、擦れたり、微振動を繰り返したりすると、表面の凸部に大きな圧力が集中する。
すると、表面の一部が塑性変形する。
塑性変形とは、力を取り除いても元に戻らない変形である。
同時に、酸化膜や潤滑膜が破れ、金属内部の新しい表面が露出する。
二つの清浄な金属面が原子間距離まで接近すると、接触面をまたいで電子の状態が連続し、金属結合が成立する。
流れを並べると、こうなる。
摩擦や圧力が加わる
↓
酸化膜や潤滑膜が破壊される
↓
表面の凸部が塑性変形する
↓
清浄な金属面同士が密着する
↓
接触面をまたいで金属結合が成立する
↓
二つの金属が局所的に一体化する
これが冷間溶接である。
NASAのガリレオ事故調査でも、冷間溶接には表面酸化膜の除去と、接触面の塑性変形が必要であり、金属界面をまたいだ結合が形成されると説明されている。
冷間溶接は、接着剤による接着とは違う。
接着剤の場合、二つの物体の間に第三の物質が入り、両者をつないでいる。
冷間溶接では、間に何かを入れるのではない。
むしろ、二つを分けていたものが失われる。
金属同士がくっつくのではない。
金属同士を分けていた境界が、局所的に消えるのである。
6|冷間溶接は化学現象なのか、物理現象なのか
冷間溶接は、一般には物理的・金属学的な固相接合現象に分類される。
金属を溶かして液体にするわけではない。
鉄が酸素と反応して酸化鉄になるように、新しい化合物を大量に作る現象でもない。
接触する前と後で、金属全体の化学組成が大きく変わるわけではない。
ただし、原子レベルで見れば金属結合という化学結合が形成される。
したがって、
* 表面膜の破壊は、力学的な現象
* 表面の変形は、材料物理的な現象
* 界面での金属結合は、電子状態に関わる現象
であり、物理と化学の境界に位置している。
最も正確に表現するなら、
表面膜の機械的破壊と塑性変形によって原子間接触が生まれ、界面に金属結合が形成される固相接合現象
となる。
「化学反応が起きた」というより、別々だった金属結晶の界面が、部分的に金属内部と同じ状態へ変わったと考える方が近い。
7|真空が金属を接着しているのではない
ここで、よくある誤解がある。
真空そのものに、金属を引きつける特殊な接着力があるわけではない。
真空が行っているのは、主に表面膜の再形成を妨げることである。
地上で金属表面が削られても、露出した面にはすぐに酸素や水分が吸着し、新しい酸化膜が作られる。
しかし高真空では、周囲に反応する気体分子がほとんどない。
一度表面膜が破壊されると、清浄な金属面が露出したまま残りやすい。
その状態で金属同士が擦れ続ければ、凝着や冷間溶接が進みやすくなる。
ESAも、無潤滑の金属表面は宇宙環境で急速に摩耗し、冷間溶接によって固着する可能性があると説明している。また、地上で一般的に使われる潤滑油の多くは、真空中では蒸発するため、そのまま使用できない。
したがって、真空の役割は、
真空が金属をくっつける
ではなく、
金属同士がくっつくのを防いでいたものを、回復しにくくする
ことである。
8|冷間溶接は合金化なのか
異なる種類の金属同士でも冷間溶接が起こるなら、真空中には一種の合金作用があるのではないか。
そう考えたくなる。
だが、冷間溶接と合金化は区別した方がよい。
合金化とは、複数の元素が広い範囲で混ざり合い、固溶体や金属間化合物など、新しい材料構造を作ることである。
一方、冷間溶接の最初の段階で必要なのは、金属全体が混ざることではない。
二つの金属の界面をまたいで結合が成立することである。
たとえば金属Aと金属Bが接合した場合でも、
金属A|接合界面|金属B
という構造を保ったまま、一体化することができる。
したがって冷間溶接は、まず合金化ではなく界面接合である。
ただし、摩擦が続けば一方の金属がちぎれ、相手側へ移着する。
さらに高温や長時間の接触など、原子が移動しやすい条件が加われば、界面付近で相互拡散や局所的な合金化が起こる可能性はある。
ガリレオの部品を模擬したNASAの摩擦試験でも、チタン合金とニッケルを多く含む超合金の間で材料の移着が確認され、その移着部分に局所的な固相溶接、すなわち冷間溶接が形成されていた。
つまり、合金に似た面はある。
しかし、
異なる金属が全体として混ざり合うのではなく、異なる金属のまま、界面だけが金属内部のようにつながる。
これが冷間溶接の基本である。
9|ガリレオで実際に起きたこと
ガリレオのアンテナには、18本の骨を収納位置に固定するためのチタン合金製ピンがあった。
それぞれのピンは、ニッケルを主成分とするインコネル製の受け口にはめ込まれていた。
展開時には、ピンが受け口から滑らかに抜け、骨が外側へ開く仕組みだった。
ピンの表面には、セラミック系の下地処理と、二硫化モリブデンを使った固体潤滑膜が施されていた。
二硫化モリブデンは、真空中で優れた潤滑性能を発揮する。
しかし湿気を含む大気中では、真空中よりも摩耗しやすいという弱点がある。NASAの試験では、この潤滑膜の耐久寿命は、大気中より真空中の方が約1000倍長かった。
本来、ガリレオは1986年に打ち上げられる予定だった。
ところがスペースシャトル・チャレンジャー号の事故によって打ち上げが延期された。
アンテナは製造工場からJPLへ、JPLからケネディ宇宙センターへ、再びJPLへ、そしてもう一度ケネディ宇宙センターへと、合計4回の長距離陸送を経験した。
収納されたまま横向きに運ばれたアンテナには、トラックの振動が加わった。
ピンと受け口は、目に見えないほど小さな幅で何度も擦れた。
このような微小な往復運動による摩耗を、フレッティング摩耗という。
輸送や地上試験の間に、特に動きの大きかった場所では、潤滑膜とその下地が徐々に削られたと考えられている。
ここで事故の条件が整い始めた。
しかし地上では、まだ決定的な固着には至らなかった。
金属面が露出しても、大気中の酸素によって酸化膜が作られるからである。
ところが打ち上げ後、状況が変わる。
潤滑膜を失ったピンと受け口が、今度は真空中で振動した。
露出したチタン合金とニッケル系合金の表面では、酸化膜が再形成されにくい。
摩擦によって表面が荒れ、金属が相手側へ移着し、局所的な凝着や冷間溶接が起きる。
表面が荒れるほど摩擦は増え、摩擦が増えるほどさらに表面が損傷する。
潤滑膜の消失
↓
金属面の直接接触
↓
凝着と材料移着
↓
かじりによる表面損傷
↓
摩擦の急増
↓
ピンの固着
という自己増幅が生じたのである。
10|事故は一つの原因では起きなかった
NASAの調査では、ガリレオのアンテナ事故に至るまでに、四つの条件が連鎖したと整理されている。
第一に、ピンへ高い接触圧が加わり、金属が塑性変形して、潤滑膜の下地が損傷した。
第二に、大気中でピンと受け口が微小運動を繰り返し、潤滑膜が削られ、粗い金属面が露出した。
第三に、その状態で真空中の摩擦が起き、かじりと高い摩擦が発生した。
第四に、3本の骨だけが開かなかったためアンテナ全体が非対称になり、駆動機構へ予定外の負荷がかかった。地上の模擬試験では、このような不均衡によって駆動トルクの約3分の2が失われる可能性が示された。
したがって、この事故を単純に、
真空中で金属同士が触れ、冷間溶接した
と説明するだけでは不十分である。
実際には、
地上で潤滑膜が摩耗し、宇宙で金属表面が凝着し、最後に機構全体の負荷バランスが崩れた。
という複合事故だった。
冷間溶接は重要な一部ではある。
しかし、事故全体を説明する言葉としては、凝着摩耗、かじり、高摩擦、機構のトルク低下まで含める必要がある。
11|宇宙で壊れたが、壊れ始めたのは地上だった
ガリレオの事故で最も興味深いのは、故障が表面化した場所と、原因が蓄積した場所が異なることである。
アンテナが開かなかったのは宇宙だった。
しかし、潤滑膜が削られ始めたのは地上だった。
輸送、保管、振動試験、打ち上げ延期。
一つひとつは、直ちに故障を起こすほどの出来事ではなかった。
だが、微小な摩耗は少しずつ積み重なった。
そして真空という別の環境へ移ったことで、それまで隠れていた損傷が決定的な意味を持った。
事故は、故障が見えた瞬間に始まるとは限らない。
最後の出来事は、原因そのものではなく、それまで蓄積されてきた条件を表面化させる引き金にすぎないことがある。
ガリレオのアンテナ事故は、宇宙という極端な環境だけが引き起こした事故ではない。
地上と宇宙、設計と運用、時間と摩耗が接続した場所で起きた事故だった。
12|失われた主回線を、どう補ったのか
高利得アンテナは、最後まで完全には開かなかった。
それでもガリレオ計画は中止されなかった。
探査機には、通信速度は低いものの、広い方向へ電波を送受信できる低利得アンテナが残されていた。
NASAとJPLは、探査機と地上設備の両方を組み替えた。
探査機側では、画像や観測データを圧縮し、重要な部分を選別して送る。
通信の誤りを訂正する符号化方式を改良する。
地上側では、複数の大型アンテナで同じ微弱な電波を受信し、信号を合成する。
こうして、低利得アンテナしか使えないという条件に合わせ、通信システムそのものを再設計した。
高利得アンテナを使う当初の計画と比べれば、大きな制約は残った。
それでも改良された低利得アンテナ通信によって、ガリレオは当初の主要任務目標の約70%を達成したとNASAの通信史は述べている。
ガリレオは、壊れなかったから成功した探査機ではない。
壊れたあとに、残された機能を組み替えたことで成功した探査機だった。
終章|物体を分けているものは何か
私たちは、二つの金属を別々の物体だと考える。
金属Aと金属B。
その間には、明確な境界があるように見える。
だが原子の側から見れば、その境界は絶対的なものではない。
酸化膜、汚れ、水分、潤滑剤、表面の凹凸。
そうした薄い層が、二つの金属を別々の物体として維持している。
それらが失われ、原子同士が十分に接近すれば、金属は界面を越えて結合する。
冷間溶接が示しているのは、金属が特殊な接着力を持つということだけではない。
物体の境界は、物質そのものに刻まれた絶対的な線ではなく、環境によって維持される状態でもある。
何もない真空の中では、二つを隔てていたものが回復しない。
だから金属は、別々であり続けられなくなる。
そしてガリレオの事故が示したもう一つの事実は、故障にもまた境界がないということである。
地上で起きた摩耗と、宇宙で起きた凝着。
部品表面の小さな傷と、探査計画全体の危機。
原因と結果は、別々の場所、別々の時間に存在しながら、一つの事故として結びついた。
宇宙で壊れた。
だが、壊れ始めたのは地上だった。
ガリレオの開かなかったアンテナは、真空中で金属の境界が失われる仕組みだけでなく、事故とは長い時間をかけて条件が接続される現象なのだということも教えている。
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