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所有とは、未来に杭を打つことである

副題 移動と定住から考える 富と不公平の起源

人はなぜ、物を持ちたがるのだろうか

家電や家具や服を増やすことだけではない
土地を持ちたい
自分の時間を守りたい
自分の居場所を失いたくない
そうした感覚まで含めると、所有とはかなり根の深い欲望に見えてくる

けれど、よく考えてみると
所有したいという感覚は、最初から人間に強く備わっていたわけではないのかもしれない

たとえば、狩猟採取を中心に生きていた時代を考える

獲物を追い、季節に合わせて移動し、水や木の実や動物のいる場所へ向かう生活では、物を大量に抱えることはむしろ負担になる

持てば重い
増やせば遅い
失えばまた運び直さなければならない

そう考えると、移動を前提とする生活の中では、物を蓄えることよりも、身軽であることのほうが価値を持ちやすい

このとき人が持つのは、最低限の道具や装飾品や武器のような、持ち運べる物に限られやすい

所有そのものが無いのではなく、所有の形が軽く、移動に耐えるものへ寄るわけだ

一方で、農耕を選んだ人々は違う

畑を耕し、同じ土地に住み、季節ごとに種をまき、収穫を待つ

この生き方では、移動する必要が減る

すると初めて、物を残しておくことが意味を持ち始める

土器を増やせる
収穫物を貯められる
住居を整えられる
道具を改良できる
装飾品を保存できる

ここで生まれるのは、単なる物量ではない

未来に向けて物を置いておけるという感覚だ

つまり、所有とは物そのものではなく、未来へのアクセス権でもある

あとで使える
次の季節にも残せる
子に渡せる
他人に奪われたくない

こうした感覚が強まるほど、所有はただの便利さではなくなり、境界や権利や富へと変わっていく

だから、狩猟採取民は所有概念が希薄で、農耕民は所有概念が濃い

そう単純に言い切るよりも、こう言ったほうが近い

移動圧の高い生活では、蓄積は重荷になりやすい

定住と余剰が成立する生活では、蓄積が力になりやすい。

例えるなら、引っ越し直前は不用品を手放して身軽になりたがり

新規での家具や家電などは買い控えると思う

違いを生むのは、文明の進歩そのものというより、生活がどれだけ未来を固定できるかという条件なのだと思う

ただし、ここには例外がある

もし土地が極端に豊かならどうだろうか

動植物が多く、水があり、気候が安定し、移動しなくても食べていける環境なら、狩猟採取民であっても定住に近い生活が可能になる

そうなれば、農耕をしなくても物を蓄える意味が出てくる

土器を作る
装飾品を持つ
住居を整える
余剰物を抱える
交換や贈与が生まれる

つまり本質は、農耕か狩猟採取かという名前ではない

安定した余剰を、その場所に固定できるかどうかにある

ここでさらに面白いのは、不公平感の問題だ

もし、チンパンジーの群れのなかで一匹にだけ与える餌を少なくしたらどうなるのか

その個体は、不満を示すのか

不公平だと訴えるのか

犬でも、報酬の差に反応する例は知られている

さらに、多く与えられた個体が少ない個体へ分ける行動も観察されることがある

ここから見えてくるのは、不公平感が人間だけの高度な道徳ではなく、もっと古い層から立ち上がっている可能性だ

もちろん、動物が人間のように正義を語っているわけではない

けれど少なくとも、自分だけが低く扱われているという差には敏感だ

この差への感受性は、とても重要だと思う

なぜなら、所有の起源は、最初から物を抱え込む

欲望ではなく、自分に与えられる分が他者より少ないことへの反応かもしれないからだ

つまり人はまず、持ちたいから所有するのではない

奪われたくない
不当に少なくされたくない
他者だけが多く持つことに耐えられない

そうした感情のほうが先にあった可能性がある

この見方に立つと、所有と不公平は別々の問題ではなくなる

所有とは、比較可能な世界の中で、自分の分を固定したいという欲望の形なのかもしれない

さらに、ここに余暇が加わる

生存だけで精一杯の状態では、人は余分な物を作らない。

食べる
寝る
逃げる
守る
それだけで一日が終わる

しかし、移動が減り、食料が安定し、カロリーの節約ができるようになると、余白の時間が生まれる

この余白はただの休みではない

生存に直結しない行為が許される時間だ

そして、この余白が富を生む

原始的な社会なら、土器や装飾品や儀礼道具
現代なら、プラモデルやコレクションや趣味の品

どちらも、生きるために絶対必要ではない

だが、だからこそ価値がある

人間は余剰を手にしたとき、それを単に保存するだけでは終わらない

意味へ変える

飾る
作り込む
集める
愛着を持つ
交換する
誇りにする

ここに、富の第二の顔がある

富には、生存を伸ばす富がある

食料、住居、道具、備蓄のようなものだ

同時に、意味を増やす富もある

装飾、芸術、趣味、象徴、儀礼のようなものだ

そして人間の面白さは、この二つを混ぜてしまうことにある

役に立たないのに捨てられない

食えないのに大事にする

なくても困らないのに欲しくなる

プラモデルがまさにそうだ

それは食料ではない

防寒具でもない

だが人はそこに時間を注ぎ、場所を割き、愛着を宿らせる

そのとき人が作っているのは、物ではなく、自分の世界の密度なのだと思う

この話の中では貨幣とは物質へ未変換の意味エネルギーなのかもしれない。

貨幣はまだ物になっていない

だが、未来の物へ変わる可能性を持っている

つまり貨幣とは、未来の所有へ変換される前の圧縮された選択肢である

考えてみれば、家の中の物の量も同じかもしれない

引っ越す前提の家では物は増えにくい
長く住むつもりの家では物が増えやすい

それは単に片付けの問題ではない
その場所を通過点として見ているか
未来を預ける場所として見ているかの差だ

つまり所有とは、空間に対する期待の沈殿でもある

このことは、人類史にもそのまま重なる

移動する社会では、世界は流れていく
定住する社会では、世界に杭を打つ

杭を打てば、蓄積が生まれる
蓄積が生まれれば、比較が生まれる
比較が生まれれば、不公平感が立ち上がる
不公平感が立ち上がれば、配分や規範や秩序が必要になる

そうして社会は、ただ生きるための集まりから、管理と意味の体系へ変わっていく

人間は、余剰を持った瞬間に文明へ入るのかもしれない

最後に、この仮説を一文に圧縮するならこうなる

人が物を所有するようになったのは、農耕を始めたからというより、余剰を未来へ固定できる条件を手にしたからであり、不公平感とは、その固定された分配の差に心が反応した痕跡である

そして、余暇とは単なる休息ではなく、富を意味へ変換するための時間だったのだと思う

ここまで来ると、所有とは物欲ではなく、世界に対して自分の分を確保したいという存在の姿勢そのものに見えてくる

土器も
装飾品も
プラモデルも
すべてはその延長線上にある

人は、生きるためだけに物を持つのではない
自分がこの世界にいた証拠を、形にして残したいのだ


まとめ


移動する生活は、物を軽くする
定住する生活は、物を残せるようにする
余剰は、富を生む
比較は、不公平感を生む
余暇は、富を意味へ変える

そして所有とは、物の量ではなく、未来と世界に対して、自分の場所を固定しようとする心の働きなのかもしれない。

人は所有せずには生きられない
けれど、所有だけでは関係を壊す


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