自律神経を整えるのは子育てと同じ
眠れぬ夜を過ごすとき、人はいつもより凶暴に…そして愚かになる。
これは、そんな人に向けた記事です。
この記事を見れば、自律神経との共存の仕方のヒントを学べるかもしれません。
序章|「おい、自律神経」への呼びかけ
これまで何度お願いしただろう。
自律神経に「言うことを聞いて欲しい」と
そんな夜を何回過ごしただろう。
「お願いだから寝かせて欲しい」
時刻は午前三時…草木ですら眠るというのに私は起きている。
目は閉じているけれど、身体は鎮まらない。
まるで、猫が夜中に大運動会を開催するように
自律神経は今日も元気です。
「頼むから寝かせてくれ」
そんな心の声もどこか虚しく響く
眠れぬ夜、理由もなく胸がざわつき、呼吸が浅くなり、心拍が乱れる。
「落ち着け」と命令しても、君は聞いてくれない。
まるで夜泣きをする赤子のように。
しかし、ここで真夜中だというのに、自律の語源について調べました。
自律の語源とは
ギリシャ語の autonomos(auto=自己、nomos=法)を踏まえて
「自律とは“自らの法を生きること”であり、身体という国家における自治のようなものだ」
ということを知ったんです。
つまり、
“自律”とは「完全な支配」ではなく、「自分の中のもう一人との関係性」なんです。
なので自律神経とは、神経が決めた自らの法則に従っているだけなんです。
だから言う事なんか聞くはずもなかったんですよね。
第1章|自律神経は“もう一人の私”
私たちの身体には、意識の届かない“もう一人の私”がいます。
それが自律神経系です。
呼吸、心拍、体温、血圧、消化――これらを黙々と整えてくれる、無言の管理者とでも言える存在です。
けれど、この管理者は、私自身ではなくて子どものようなもう1人の私
気温や感情、言葉、記憶の影響を敏感に受け取って、すぐに表情を変えてしまいます。
怒れば体温が上がり、不安になれば胃が痛み、安堵すれば眠気が訪れます。
この私の中の子供を統制しようとすれば、彼(=自律神経)は機嫌を損ねてしまうんです。
つまり、彼を「しつける」のではなく、「あやす」必要があったんです。
でも、なんで?って深く考えた時に、気がつきました。
きっと私の代わりに泣いてくれているんだな。
そう考えたら、今まで以上に自分の身体のことを大切にしなきゃって思えるようになりました。
第2章|「整える」とは、対話すること
多くの人は「自律神経を整える」という言葉を、
“機械のメンテナンス”のように捉えていますよね。
だけど、本来それは“親子の会話”に近いんです。
「どうしたの?」「疲れた?」「今日は静かにしようか」
そんな小さな声がけの積み重ねが、身体のリズムを取り戻す。
これこそ、自分の機嫌は自分でとるということなのかもしれません。
もちろん、相手は神経ですので、実際の声がけでは、あまり効果がありません。
それでも、寝る前に自分に感謝するという習慣も一定の効果があるようですが、それだけで万全とは言えません。
たとえば、スマホから離れるとか、カフェインは◯◯時までとかそうした一つ一つが身体に対する声がけだったんです。
たとえば、呼吸法や瞑想が効くのは、身体の内なる声を聞く時間を与えるんですね。
もし、余裕があるのなら身近な人への感謝の言葉を紙に書いてみて下さい。
でも、頑張りすぎは禁物ですよ😉
つまり「整える」とは、“支配すること”ではなく“理解しようとすること”なんです。
それが、自分を大切にするという事なんだと思いました。
第3章|意識は教師ではなく、親である
心と身体の関係を、教師と生徒のように捉えると、
心が厳しすぎて身体が萎縮してしまいます。
むしろ、意識は「親」であり、自律神経は「子」であると考えた方がよいんです。
叱るだけではなく、寄り添い、見守り、信じる。
たとえ乱れても、「それも成長の一部」と受け止める。
自律神経を子どもとして見ると、心身の関係はずいぶんやさしくなる気がします。
終章|「共生としての自律」
結局のところ、自律とは“完全な独立”ではなく“共生”です。
心と身体、意識と無意識、親と子
その境界を往復しながら、私たちは一つのリズムを作っているんです。
だから今日も、こう呼びかけましょう。
自律神経よ、
君が少し揺らいでいるなら、私も一緒に揺らごう。
君が泣いているなら、私も少し休もう。
そうやって、私たちは“生きる”というリズムを奏でているのだから。
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