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顔は12点、神経は0.04%だった



副題

同じ身体を測っているのに、違う現実が現れる

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『顔が腫れただけだと思っていた』

『時間も身体も病院に預けた。それでも心は自由だった』


はじめに|昨日より動いている。それでも0.04%だった


この記事を書いている時点で私は顔面麻痺で入院している。

最初に夜間救急で受診したときはベル麻痺と診断された。

その翌日、診断はラムゼイ・ハント症候群へ変わった。

以前の記事で私は、

「診断とは、一つの病名を当てることではなく、可能性を切り分けていく営みである」

と書いた。

どうやら診断がついても、医療は終わらない。

次に始まったのは、

どれくらい麻痺しているのか。

顔面神経はどれくらい障害されているのか。

この先、どのような回復が考えられるのか。

身体を「測る」という段階だった。

この日、

顔の動きを評価する柳原法では、

12点。

そして、

顔面神経を電気的に評価するENoGでは、

0.04%。

どちらも、

同じ私の左顔面について出された数字である。

昨日より少し動いている。

それなのに、

0.04%。

最初は、

この二つがどうして同時に成立するのか、

よく分からなかった。


1|医師が顔を見てつけた「12点」


顔面神経麻痺では、

顔の動きを評価する方法の一つとして、

柳原40点法が使われる。

安静時の左右差。

額にしわを寄せられるか。

目を閉じられるか。

頬を膨らませられるか。

口を動かせるか。

そうした複数の動きを、

0点、2点、4点で評価していく。

満点は40点。

私の場合、

発症直後はかなり低い点数だった。

それが、

少しずつ上がってきた。

そしてこの日は、

12点。

実際、

自分でもわずかな変化は分かる。

まったく動かなかった場所が、

少しだけ動く。

目も、

以前より閉じる方向へ進んでいる。

昨日できなかったことが、

今日はわずかにできる。

だから、

「少しずつ回復しているのだろう。」

そう感じていた。

少なくとも、

私が生きている身体の中では、

変化は起きていた。


2|スタンガンのような検査


その日、

顔面神経の電気生理学的な検査を受けた。

顎のあたりに刺激器を当てられる。

バチッ。

また、

バチッ。

かなり痛い。

感覚としては、

髭脱毛に近かった。

私は最初、

単純に、

「神経にどれくらい電気が流れやすいのかを測っているのだろう」

と思っていた。

しかし、

あとで渡された検査結果を見ると、

行われていたのは、

ENoG(electroneurography)

だった。

顔面神経を電気刺激し、

その刺激によって顔の筋肉に生じる電気的反応を測定する。

そして、

患側と健側を比較する。

簡単に言えば、

見た目ではなく、電気から顔面神経の状態を見ようとする検査

である。

検査後、

「左右差がかなり大きい」

と説明された。

そして紙を見る。

そこには、

ENoG値 0.04%

と書かれていた。


3|0.04%という数字


0.04%。

1%ではない。

0.1%でもない。

0.04%。

一瞬、

数字の意味が分からなかった。

ENoG値は、

患側で得られた筋肉の電気的反応を、

健側と比較した比率として表す。

値が低いほど、

患側の電気的な反応が弱い。

ただし、

0.04%だから、

「顔面神経の99.96%が永久に死んだ」

という意味ではない。

ENoGは、

神経線維を一本ずつ数えているわけではない。

あくまで、

電気刺激によって得られた筋活動の大きさを、

左右で比較している。

それでも、

0.04%という数字が非常に低いことには変わりない。

私は、

昨日より少し顔が動くようになったと感じている。

柳原法では、

12点になった。

しかし機械は、

ほとんど反応がないに近い数字を返してきた。

同じ身体から、

まったく違う印象の数字が出てくる。


4|左右のグラフには、同じ山があった


検査結果には、

左右の波形も印刷されていた。

見た瞬間、

少し奇妙に思った。

左にも山がある。

右にも山がある。

形だけを見ると、

そこまで極端な差には見えない。

ところが、

よく見ると、

縦軸が違った。

左側は、

100μV/div。

右側は、

1mV/div。

1mVは1000μVである。

つまり、

左右の縦軸には10倍の差がある。

紙の上では、

似た高さの波形に見える。

しかし、

同じ尺度で描かれているわけではない。

もし同じ尺度にそろえれば、

見え方はまったく変わる。

ここで、

少し面白いと思った。

グラフというものは、

数字を視覚化したものだから、

数字より分かりやすいように思える。

けれど、

尺度を読まなければ、グラフですら現実を違って見せる。

山の高さだけを見れば、

左右はそれほど違わないように見える。

尺度を見ると、

まったく違う世界だった。


5|12点と0.04%、どちらが本当なのか


ここで、

最初の疑問に戻る。

柳原法12点。

ENoG 0.04%。

どちらが正しいのだろう。

たぶん、

この問い方そのものが間違っている。

二つは、

同じものを測っていない。

柳原法が見ているのは、

いま、顔がどれくらい動くのか。

ENoGが見ているのは、

電気刺激に対して、神経と筋肉がどれくらい反応するのか。

さらに、

私は私で、

別の身体を経験している。

昨日より目が閉じる。

少し口元が動く。

水のこぼれ方が変わる。

鏡を見て、

「あ、少し動いた」

と思う。

すると、

一つの身体の中に、

少なくとも三つの見え方がある。

私が感じている身体。

医師が観察している身体。

機械が測定している身体。

どれか一つだけが本物なのではない。

どれも、

同じ身体の異なる断面を見ている。


6|人間の身体には「11点」がない


柳原法について考えていて、

もう一つ面白いことに気づいた。

この評価法では、

各項目が0点、2点、4点で評価される。

だから、

11点という状態は存在しない。

10点の次は、

12点である。

しかし、

実際の身体はそんなふうには変化しない。

昨日の夜10点だった身体が、

朝になった瞬間、

「今日から12点の身体です」

と切り替わるわけではない。

神経も、

筋肉も、

もっと連続的に変化している。

それでも、

医療では、

どこかに境界線を引かなければならない。

軽症。

中等症。

重症。

完全麻痺。

不全麻痺。

治癒。

非治癒。

現実の身体は連続している。

しかし、

人間がその身体を理解し、

比較し、

治療方針を考えるためには、

連続しているものを区切る必要がある。

つまり、

境界線は身体そのものの中にあるとは限らない。

身体を扱うために、

私たちが引いた線でもある。

もちろん、

だから分類が無意味だという話ではない。

境界があるから、

多くの患者を比較できる。

治療成績を検討できる。

医師同士で状態を共有できる。

しかし同時に、

その境界線と身体そのものを、

同一視しないことも必要なのだと思う。


7|数字は、実際の治療にもつながっている


もちろん、

これは数字遊びではない。

ENoGのような検査結果は、

予後を考える材料になる。

重症の顔面神経麻痺では、

ステロイドや抗ウイルス薬による治療だけでなく、

より詳しい電気生理学的評価や、

場合によっては顔面神経減荷術という治療が検討されることもある。

顔面神経は、

側頭骨の中にある狭い骨の管を通っている。

炎症によって神経が腫れると、

骨の中では逃げ場が少ない。

そこで神経への圧迫を減らすことを目的に行われるのが、

顔面神経減荷術である。

ただし、

一つの数字だけで、

機械的に手術が決まるわけではない。

顔の動き。

電気生理学的な検査。

発症からの日数。

回復の経過。

病型。

さまざまな情報を組み合わせて判断する。

ここでも、

医学は一つの数字を見ているのではなく、

複数の尺度から一つの身体を読もうとしている。


8|身体を預けたら、数字になって返ってきた


以前、

『時間も身体も病院に預けた。それでも心は自由だった』

という記事を書いた。

入院すると、

時間の一部を病院に預ける。

点滴の時間。

食事の時間。

検査の時間。

診察の時間。

身体の治療も、

専門家へ預ける。

自分ではできないことだからだ。

その記事では、

身体を病院に預けても、

何を考えるかまでは預けていない、

と書いた。

そして今回、

病院に預けた身体が、

数字になって返ってきた。

12点。

0.04%。

4.2mV。

100μV。

1mV。

私の顔が、

数字と波形へ翻訳されている。

不思議なのは、

それらの数字を見ても、

自分の身体そのものを見ている感覚にはならないことである。

数字は確かに、

私の身体から出てきた。

けれど、

数字そのものが身体ではない。


9|測定とは、身体を翻訳することなのかもしれない


考えてみれば、

測定とは、

現実そのものを取り出す行為ではない。

現実のある側面を、

別の形式へ変換する行為である。

体温なら、

身体の熱を数字へ変える。

血圧なら、

血管の状態を数字へ変える。

MRIなら、

身体内部の情報を画像へ変える。

柳原法なら、

顔の動きを点数へ変える。

ENoGなら、

電気刺激への反応を比率へ変える。

つまり、

医学は身体をそのまま手に取っているわけではない。

身体から情報を取り出し、

人間が扱える形式へ翻訳している。

だから、

翻訳方法が違えば、

違う姿が現れる。

柳原法では、

12点。

ENoGでは、

0.04%。

本人に聞けば、

「昨日より少し動いている。」

どれも、

同じ身体について語っている。

けれど、

語っている内容は同じではない。


10|数字は現実である


ここで、

「数字なんて人間を表せない」

と言ってしまうのは簡単だ。

しかし、

それでは少し違う気がする。

数字は、

間違いなく現実の一部である。

0.04%という数字がなければ、

私の顔面神経が電気生理学的にどのような状態なのか、

私は知ることができなかった。

数字があるから、

経過を比較できる。

治療を考えられる。

予後を考えられる。

必要なら、

次の検査や治療へ進むこともできる。

だから、

数字を否定する必要はない。

問題は、

数字を現実のすべてだと思うこと

なのだと思う。

数字は、

身体についての真実を語る。

しかし、

一つの数字だけで、

身体のすべてを語ることはできない。


おわりに|複数の真実を持つ身体


最初は、

顔が腫れただけだと思っていた。

それが、

顔面神経麻痺になった。

ベル麻痺と診断された。

その後、

ラムゼイ・ハント症候群になった。

そして今度は、

柳原法12点になった。

ENoG 0.04%になった。

病院に入ってから、

私の身体には、

いくつもの名前と、

いくつもの数字が与えられた。

しかし、

以前の私は、

数字は私ではない、

と言いたくなっていた。

今は、

少し違う。

0.04%もまた、私の身体についての現実である。

12点も現実。

0.04%も現実。

昨日より少し動いたと感じることも現実。

どれか一つが正しく、

残りが間違っているのではない。

一つの身体が、

異なる尺度によって、

異なる姿を見せている。

人間は、

測ることができる。

身体も、

かなり細かく測ることができる。

けれど、

測るたびに、

別の真実が現れる。

すると、

「本当の身体」は、

どこか一つの数字の中にあるのではないのかもしれない。

複数の尺度で測られ、
複数の真実を持ちながら、
それでも一つであり続けているもの。

それが、

身体なのかもしれない。

今日、

私の顔は12点だった。

神経は0.04%だった。

そして私は、

昨日より少し動くようになったと感じている。

三つとも、

同じ身体の話である。


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