見出し画像

誰も傷つけたくない人が、動けなくなるとき

副題:倫理的猫トースト装置の成立条件


ある日ふと、自分の中に“動けない何か”が生まれているのを感じた。

誰かに会いたい。

言葉をかけたい。

何かを届けたい。

けれど、その想いが深くなるほど、足が止まる。
なぜか、何もできなくなる。

──それは優しさだったのかもしれない。

誰かを想う気持ちが強すぎて、
その誰かを選ぶことが、別の誰かを拒むことになってしまう。

そんな気がして、ただ立ち尽くしていた。

愛が深まるほど、自由は狭まる。

やさしくなろうとすればするほど、言葉は選べなくなる。

全方向に等しく想うとき、心は中心を失って浮遊し始める。

そんなとき、人は「倫理的猫トースト装置」になる。

猫は本能的に足から落ちる。

トーストはバター面から落ちる。

猫の背中にトーストを貼りつけたら、落下の矛盾で空中に留まってしまう──

そんな冗談のような構造が、自分の中で起きている。

愛するから選べない。

優しいから動けない。

配慮するほど、身動きが取れなくなる。

この装置は、優しさの限界で作動する。

行動が誰かを傷つけるかもしれないと気づいたとき、人は“動かない”という選択肢を選ぶようになる。

それは無関心ではない。

むしろ、関心の臨界点だ。

倫理的猫トースト装置は、
今日も空中で、静かに回転している。

どこにも落ちないまま

誰も傷つけず

誰にも届かないまま

それは、優しさが行為に変わる直前で止まり続ける心の装置である。


関連記事

この倫理的猫トースト装置については、より論文的に整理した記事もあります。

優しさ、配慮、責任感が重なりすぎたとき、なぜ人は動けなくなるのか。

その構造を、もう少し理論的に掘り下げています。

理論編

倫理的猫トースト装置の成立条件▼

隣接する記事

動かざること山の如し 戦略としての不動

別角度から考察

あの人のせいで、思考が止まらない

恋と無量空処の話▼

『愛深きゆえに身動きがとれない男』

いいなと思ったら応援しよう!

谷博貴の哲学【フォロバ100】 応援よろしくお願いします!いただいたチップは研究費用に回します。