誰も傷つけたくない人が、動けなくなるとき
副題:倫理的猫トースト装置の成立条件
ある日ふと、自分の中に“動けない何か”が生まれているのを感じた。
誰かに会いたい。
言葉をかけたい。
何かを届けたい。
けれど、その想いが深くなるほど、足が止まる。
なぜか、何もできなくなる。
──それは優しさだったのかもしれない。
誰かを想う気持ちが強すぎて、
その誰かを選ぶことが、別の誰かを拒むことになってしまう。
そんな気がして、ただ立ち尽くしていた。
愛が深まるほど、自由は狭まる。
やさしくなろうとすればするほど、言葉は選べなくなる。
全方向に等しく想うとき、心は中心を失って浮遊し始める。
そんなとき、人は「倫理的猫トースト装置」になる。
猫は本能的に足から落ちる。
トーストはバター面から落ちる。
猫の背中にトーストを貼りつけたら、落下の矛盾で空中に留まってしまう──
そんな冗談のような構造が、自分の中で起きている。
愛するから選べない。
優しいから動けない。
配慮するほど、身動きが取れなくなる。
この装置は、優しさの限界で作動する。
行動が誰かを傷つけるかもしれないと気づいたとき、人は“動かない”という選択肢を選ぶようになる。
それは無関心ではない。
むしろ、関心の臨界点だ。
倫理的猫トースト装置は、
今日も空中で、静かに回転している。
どこにも落ちないまま
誰も傷つけず
誰にも届かないまま
それは、優しさが行為に変わる直前で止まり続ける心の装置である。
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その構造を、もう少し理論的に掘り下げています。
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