春のワイン街道ドライブ
オーストリア第2の都市(といっても当時の人口25万人)グラーツに家族と共に数年間暮らしていたころ、春の陽気な季節がやってくると、私たちは休日決まって南へ車を走らせた。目指すはスロベニアとの国境沿いに広がる「ワイン街道(Südsteirische Weinstraße)」である。シュタイヤーマルク州が誇るワインの名産地であり、イタリア・トスカーナを彷彿とさせる美しい丘陵地帯だ。
グラーツの市街地から高速道路を使えば、ワイン街道の入口までは車でわずか20〜30分ほど。都会の喧騒を離れて、穏やかな丘とブドウ畑の景色が広がるその道は、四季のなかでも特に春に輝きを増す。芽吹いた緑が一面に広がり、ブドウの若葉がそよ風に揺れる様子は、まるで絵画のようだった。
シュタイヤーマルク州はオーストリアでも屈指のワイン産地として知られ、特に白ワインの生産が盛んである。ここのワインは、他の地域に比べても個性的でユニークな味わいを持つものが多い。醸造には独自の方法が取り入れられており、地元のブドウ畑の風土(空気や土壌の特徴)がその味わいに大きな影響を与えているらしい。
この地域には、数百軒にも及ぶワイナリーが点在している。それぞれが自家栽培のブドウからワインを醸造し、訪れる人に提供してくれるのだが、まずその数の多さに圧倒される。事前に調べて行っても、実際に訪れてみると気になるワイナリーが次から次へと現れ、車を停めては「ちょっと覗いてみようか」と家族でワイナリー巡りを楽しんだ。
初めて訪れた頃は、どこを回ればよいのか分からず戸惑ったものだ。そんな時に重宝したのが、街道の入口付近にある大きなワインショップだった。ここでは地元産の様々なワインを一度に試飲することができ、自分の好みに合ったワインを見つけることができる。
ワインのブドウの種類はいくつかあり、それぞれが特徴を持っているので、まずはどのブドウ種がお気に入りになるかを見極めることからはじめる。いくつかの特徴を掴んだら、次は同じブドウ種を使って作られた異なるワイナリーのワインを試飲していけば、「これだ!」というものに巡り会える。こうしてお目当てのワイナリー、ワインを探し出していった。
お店の人に「このワインはどこで作っているのですか?」と尋ねれば、地図を広げながら「ここから車で15分ほどだよ」と、親切に道順を教えてくれる。もちろん、1本購入することを忘れずに。
そうやって見つけたお気に入りのワイナリーを、週末に訪れることが私たちの楽しみとなった。ワイナリーには、ただワインを売っているだけではなく、ブッシェンシャンク(Buschenschank)と呼ばれる地元の居酒屋のような場所が併設されている場合が多い。ここでは自家製のワインとともに、手作りハムやチーズ、パンなどの軽食が提供されている。このブッシェンシャンクはグラーツ周辺に住む人たちにも非常に人気があり、週末になると観光客だけでなく地元の人々も集まるため、とても賑わいを見せる。
ここのハムやチーズがまた格別で、保存料を使っていない作りたての素朴な味わいを知ると、日本で食べていたアレはいったい何だった?となる。ワインと一緒に口にすれば、思わずこぼれる笑みを抑えられない。春の暖かい日差しの下、木陰のテラスで風に吹かれながら、家族でワインと軽食を楽しむ時間は、今思い出すと何にも代えがたい贅沢だった。
また、ブッシェンシャンクでは、季節ごとに提供されるメニューが異なり、その時期にしか味わえない地元の食材が使用されている。4月から5月ごろには、オーストリアで有名な白アスパラガスの料理が並ぶ。秋には、収穫されたばかりの新酒(ユンカー[Junker])とともに、秋の味覚が満載のきのこ料理が提供される。しぼりたてのパンプキンシードオイルが手に入るのも秋だ。これをサラダやスープに掛けて食べるのがシュタイヤーマルクの流儀なのだ。このように、ワイナリーでの食事は、ただワインを楽しむだけでなく、その土地の文化を深く知るための大切な機会だった。
ワインを楽しむのは大人の特権だが、子どもたちにもちゃんと「ご褒美」はある。この地域で作られているリンゴジュースが驚くほど美味しいのだ。無濾過のリンゴジュースは、濃厚で香り高く、まるで果実そのものを味わっているかのよう。お酒が飲めない人にも、ワイン街道の魅力を存分に楽しんでもらえる理由の一つだ。
もちろんドライブを兼ねているので、飲みすぎには注意が必要だ。オーストリアでも飲酒運転には厳しい罰則がある。ただ、現地の同僚いわく、「ワイングラス2杯くらいなら大丈夫」とのこと。もちろん自己責任ではあるが、ワインの風味を少し味わう程度にとどめれば、トラブルになることはなかった。あとはお気に入りのワインを1ダース購入して、家に帰って飲み直せばいい。

そんな異国での休日のドライブは、家族との貴重な思い出として今も心に残っている。日々の忙しさを忘れ、ただ美しい風景と美味しい食べ物を楽しむ。そのひとときが、私たちにとってどれほど癒しであったか。グラーツでの生活は数年間に過ぎなかったが、春のワイン街道の記憶は、人生の豊かさを感じさせてくれる特別なものとして、今でも鮮やかによみがえる。
ワイン街道でのドライブは単なる観光ではなく、家族との絆を深め、日常の忙しさから解放される貴重なひとときだった。毎回違ったワイナリーや景色に出会い、家族と共に新たな発見を楽しむことができた。それは単なる旅行の一環ではなく、私たちの生活の中で心に残る宝物となっている。今後の人生を豊かにしてくれる大切な思い出として、ずっと大切にしていきたい。
