Grazの悲劇
オーストリア南東部に位置するグラーツ(Graz)は、ウィーンに次ぐ第2の都市でありながら、人口約30万人という中規模の都市である。その規模のわりに街の中心部はコンパクトで、人の流れも穏やかであるため、訪れる人々にとっては「のんびりとした中央ヨーロッパの地方都市」といった印象を抱かせる街である。実際、緑も多く、春から秋にかけてはクロウタドリが美しいさえずりを響かせ、世界遺産でもある旧市街には中世の雰囲気が色濃く残る。観光地としての華やかさよりも、日々の暮らしに根ざした落ち着きがこの街の魅力であり、それゆえに多くの人々にとって穏やかで平和な日常が当たり前のように続いていく場所でもあった。
そんなグラーツで、昨日信じ難い悲劇が起こった。午前10時、ひとりの男が高校に侵入し、2つの教室で無差別に銃を乱射。少なくとも10人が死亡し、11人が負傷。うち1人は依然重篤な状態だという。報道によれば、犯人はその後校内のトイレで自殺を図り、命を絶ったとされる。日本でも速報として報じられたこの事件に、私たち家族は言葉を失った。
この高校がある場所は、かつて私が勤務していた会社のオフィスがあった場所にほど近い。当時はその通りを毎日のように歩き、建物の並びや街路樹の様子までも鮮明に記憶している。今回の事件が、単なる「海外のどこかで起こったニュース」ではなく、かつて自分が暮らしていた親しみと想い出のある場所で起こったという事実は、心に重くのしかかる。
私たちがグラーツに暮らしていたのは、わずか数年に過ぎない。しかし、それは私にとって初めての海外勤務であり、家族にとっても初めての海外生活であった。その体験は、私たちの価値観や人生観を大きく変えた。異なる文化の中で暮らし、異なる言語に囲まれながら、日々を築いていくという経験は、今も私たちの判断や行動の根底にある。当時の経験があったからこそ、その後も外資系企業での勤務を続け、そして55歳で早期退職という選択ができたともいえる。グラーツは、私たち家族にとっての人生の転機をもたらした街である。
それだけに、今回の事件には大きな衝撃を受けた。日本に暮らす私たちは、何もしてあげられることがない。ただただニュースを見つめ、胸を痛め、元同僚や知人の安否を案じるばかりである。マレーシアに暮らす息子にもすぐに連絡を取った。当時通っていたインターナショナルスクールの同級生たちと連絡を取り合っているという。少し安心した反面、今回の事件が誰かの人生にどれほど深い傷を残したかを思うと、胸の奥にやりきれなさが募る。
私たちが暮らしていた頃、グラーツは非常に安全な街という印象が強かった。日本の都市部と比べても犯罪が少なく、日中はもちろん、夜間でも女性ひとりで街を歩くことにさほど不安を感じることはなかった。そんな街で今回のような凶行が起こるとは、誰も想像すらしなかったであろう。
グラーツには、当時も多くの外国人が暮らしていた。学生や研究者、駐在員やその家族たち。おそらく今も、世界中から来た人々がこの街で日々を過ごしていることだろう。事件が起こると、往々にして外国人への風当たりが強くなることがある。差別や偏見が一気に表面化することもある。もちろん、グラーツの人々の多くは温かく、寛容であり、外国人に対して友好的な態度を示す人が多い。しかしながら、どの社会にも一定の割合で排他的な感情を持つ者は存在する。今回の事件が、そうした感情を助長しないことを願ってやまない。
現在、私は日本に戻り、母国で安定した生活を送っている。しかし、海外で暮らしていた日々を思い返すと、外国人としての立場からくる気苦労や小さな不便が少なからずあったことを思い出す。それでも、グラーツでの経験は、私たちにとってかけがえのない宝物である。そして今なおその街で暮らす日本人の方々、また世界中から来た人々が、この事件をきっかけに不安や不便を抱えることなく、平穏な日常を取り戻してくれることを心から願っている。
遠く日本からではあるが、グラーツの人々、そして被害に遭われた方々とそのご家族に、深い哀悼とともに、心からの祈りを捧げたい。どうか一日も早く、穏やかな日々が戻りますように。私たち家族の人生を豊かにしてくれたこの街が、再びあのやさしい日常を取り戻すことを信じてやまない。
