【ブックガイド】読むとお腹が空いてくるおすすめ小説・エッセイ15選
読書をしていて、気がつけばお腹がぐうと鳴っていた——そんな経験はありませんか。巧みな筆致で描かれる料理の匂い、湯気、音、そして口に運んだときの幸福。食にまつわる本には、レシピ本とはまた違う、五感を揺さぶる力があります。
この記事では、読むだけで台所に立ちたくなる、あるいはふらりとおいしいお店に足を運びたくなる小説・エッセイを15冊ご紹介します。昭和の文豪から現代の人気作家まで、時代もジャンルもさまざまに取り揃えました。ページをめくるたびに食欲が刺激される、至福の読書体験をお楽しみください。
『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』石井好子(河出書房新社)
1950年代のパリでシャンソン歌手として暮らした石井好子さんが、異国の地で出会った料理の数々を綴った食エッセイの古典です。下宿先のマダムが作ってくれたオムレツ、仕事終わりの夜更けに食べたオニオングラタンスープ——どの一皿にも、若き日の記憶と土地の空気がたっぷりと染み込んでいます。
飾らないのに品があり、簡潔なのに豊かな香りが立ちのぼる文章は、半世紀以上にわたって読み継がれてきました。レシピが自然と文中に織り込まれているので、読み終えたらすぐにバターと卵を手に取りたくなるはずです。
『檀流クッキング』檀一雄(中央公論新社)
「この地上で、私は買い出しほど、好きな仕事はない」という一文から始まる本書は、無頼派の作家・檀一雄が世界中の市場を歩き回り、自ら腕をふるった料理92種を紹介するエッセイです。分量も手順も大ざっぱ、しかしそこに宿る豪快さと愛情が、読む者の食欲を猛烈にかき立てます。
ポルトガルの魚料理から博多の水炊き、沖縄のチャンプルーまで、国境も枠組みも軽やかに飛び越えていく姿勢は痛快そのもの。台所に立つことの根源的な歓びを教えてくれる、料理エッセイの金字塔です。
『台所のおと 新装版』幸田文(講談社)
表題作「台所のおと」は、病床に伏す料理人の佐吉が、台所から聞こえてくる妻の包丁の音の変化に気づくところから始まる短編です。まな板を叩く音、鍋が煮立つ音、水が流れる音——料理そのものではなく「音」を通して食卓の気配を描き出す、幸田文ならではの繊細な筆致が光ります。
収録された短編はいずれも、食べることと暮らすことが分かちがたく結びついた世界を描いています。声高に「おいしい」とは書かれていないのに、読後にはなぜか温かい味噌汁が恋しくなる、そんな不思議な一冊です。
『父の詫び状』向田邦子(文藝春秋)
脚本家・向田邦子の第一エッセイ集として知られる本書は、昭和の家庭の風景を鮮やかに切り取った名作です。家では威張り散らしていた父、宴会帰りに子どもたちを叩き起こして土産を食べさせる父——その記憶のそこかしこに、食卓の情景が息づいています。
向田邦子が描く食べ物は、高級料理ではなく、家庭の日常に根ざしたものばかりです。ごはんの炊けるにおい、お正月のごちそう、病気のときに出されたおかゆ。何気ない食の記憶が家族の物語と溶け合い、読む者の胸の奥にある「おふくろの味」をそっと揺り起こします。
『最後の晩餐』開高健(文藝春秋)
「もし明日死ぬとしたら、最後に何を食べたいか」という問いを軸に、古今東西の食の諸相を縦横無尽に語り尽くしたエッセイです。フランス料理の絢爛たる世界から中華の精進料理、果ては人肉嗜食の歴史まで、開高健の博覧強記ぶりに圧倒されます。
しかし本書が単なる食の蘊蓄にとどまらないのは、著者がベトナム戦争の戦場を経験したことと無縁ではありません。死と隣り合わせの極限状態を知る人間だからこそ書ける「食べることは生きること」というメッセージが、すべてのページの底流にあります。
『旅行者の朝食』米原万里(文藝春秋)
ロシア語通訳者として世界を飛び回った米原万里さんが、各地で出会った食べ物にまつわるエピソードを軽妙な筆致で綴ったエッセイ集です。タイトルにもなっている「旅行者の朝食」は、ソ連時代に出回っていた謎めいた缶詰の話。その正体をめぐるミステリアスな語りに、思わず引き込まれます。
幻のトルコ蜜飴「ラハット・ルクム」を追い求めるエピソードなど、食への飽くなき好奇心と、それを支える知性とユーモアのバランスが絶妙です。読み終えるころには、見知らぬ国の見知らぬ料理を食べてみたいという衝動に駆られることでしょう。
『かもめ食堂』群ようこ(幻冬舎)
フィンランドのヘルシンキに小さな食堂を開いた日本人女性・サチエの物語です。看板メニューは、心を込めて握る「おにぎり」。最初はお客が来ない日々が続きますが、やがてひとり、またひとりと人が集まり始め、食堂は静かな温もりに満ちた場所になっていきます。
映画化でも話題になった本作の魅力は、料理の描写がとにかく丁寧なこと。シンプルなおにぎりやシナモンロールが、こんなにもおいしそうに書けるのかと驚かされます。肩の力を抜いて読めて、読後は誰かのためにごはんを作りたくなる、そんなやさしい小説です。
『BUTTER』柚木麻子(新潮社)
木嶋佳苗事件に着想を得た本作は、男たちから金と命を奪った容疑で逮捕された女・梶井真奈子に、週刊誌記者の里佳が面会を重ねていく物語です。獄中の梶井が語る「おいしいものの作り方」は、バターをたっぷり使った濃厚な料理ばかり。その官能的な食の描写が、里佳の価値観を少しずつ揺さぶっていきます。
殺人とグルメという異質な要素が濃厚に絡み合うサスペンスフルな展開でありながら、読んでいるとバターの香りが漂ってくるような不思議な読書体験を味わえます。女性の欲望と社会の抑圧を鋭く描いた、柚木麻子の代表作です。
『まずはこれ食べて』原田ひ香(双葉社)
多忙なベンチャー企業で働く30歳の胡雪たちのもとに、無愛想な家政婦・筧みのりがやってきます。散らかったオフィスを片づけ、ていねいに作られた昼食を社員たちに出す彼女。その食事をきっかけに、殺伐としていた社内の空気が少しずつ変わっていく——という連作短編集です。
肉じゃが、豚汁、炊き込みごはんといった素朴な家庭料理が次々と登場しますが、どれも「こういうの食べたかった」と思わせる、心に沁みるメニューばかりです。仕事に疲れた夜にページをめくれば、明日はちゃんとごはんを作ろうという気持ちになれます。
『いとしいたべもの』森下典子(文藝春秋)
『日日是好日』の著者・森下典子さんが、食べ物にまつわる記憶を著者自身のほのぼのとしたイラストとともに綴ったエッセイ集です。ひと口食べた瞬間に、心の片隅に眠っていた記憶がふわりと目を覚ます——そんな体験を23編に凝縮しています。
コロッケ、ナポリタン、クリームソーダなど、取り上げられるのはどこか懐かしい庶民的な食べ物ばかり。けれどもそのひとつひとつに、子ども時代の風景や家族の温もりが丁寧に重ねられていて、読んでいるうちに自分自身の「いとしいたべもの」を思い出さずにはいられません。
『サンドウィッチは銀座で』平松洋子(文藝春秋)
フードジャーナリスト・平松洋子さんが、東京を中心に「いまの味」を探し歩いた食エッセイです。漫画家・谷口ジローさんの挿画が添えられた文庫版では、文章の美味しさに絵の美味しさが加わって、ページをめくるたびにお腹の虫が暴れ出します。
社員食堂を食べ比べたり、池袋で中国東北地方の味を探したり、銀座の老舗でサンドウィッチを頬張ったり。平松さんの文章は、味そのものだけでなく、食べている場の空気や一緒にいる人の表情まで描き出すので、読んでいるとまるで自分もその席に座っているような気分になります。
『わるい食べもの』千早茜(ホーム社)
直木賞作家・千早茜さんによる、ちょっと毒のある食エッセイです。アフリカで体験した衝撃的な「ウニ」の記憶、表参道のおしゃれカフェで身体にいいメニューを頼んだら「鳥のエサ」にしか見えなかった話など、建前を軽やかに蹴飛ばす痛快さが持ち味です。
「身体にいいもの」「丁寧な暮らし」といった言葉に何となく窮屈さを感じている方にこそ読んでほしい一冊です。好きなものを好きなだけ食べる。その素直な欲望を肯定してくれるからこそ、読後には不思議と食欲が湧き、自分の「好き」に正直でありたいという気持ちになります。シリーズ続刊の『しつこく わるい食べもの』『こりずに わるい食べもの』もあわせてどうぞ。
『今日もごちそうさまでした』角田光代(新潮社)
自他ともに認める「肉好き」だった角田光代さんに訪れた、食の大転換を綴ったエッセイです。「食べられない」ものだらけだった著者が少しずつ「食べる」世界を広げていく過程には、ダイナミックな感動があります。失恋しても病気になっても、朝7時、昼12時、夜7時のごはんだけはきちんと食べてきたという一貫した姿勢に、食べることへの信頼が表れています。
力まず飾らず、「おいしい」「まずい」を率直に書く角田さんの文章は、友人の食卓話を聞いているような心地よさ。読んでいるうちに無性にお腹が空いてきて、何か作って食べたい、誰かと食卓を囲みたいという気持ちがむくむくと湧いてきます。
『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』彩瀬まる(祥伝社)
「食べるってすごいね。生きたくなっちゃう。」——そんな帯文が印象的な、食にまつわる6つの物語を収めた連作短編集です。仕事や育児、人間関係に疲れた登場人物たちが、ふとした「ひと口」をきっかけに再び前を向いていく姿が丁寧に描かれています。
彩瀬まるさんの文章には、料理の温度や湯気のゆらぎまで感じ取れるような繊細さがあります。夜遅くに読んでいると、台所に立って何か温かいものを作りたくなる——そんな衝動に駆られること間違いなしの一冊です。タイトルの通り、温かい鍋を抱いて眠りにつくような、やさしい読後感が待っています。
『ランチのアッコちゃん』柚木麻子(双葉社)
彼氏にフラれて落ち込む派遣社員の三智子が、通称「アッコ女史」こと黒川敦子部長から突然「1週間、ランチを交換しましょう」と持ちかけられるところから始まる連作短編集です。アッコさんが指定するランチは、移動販売のキッチンカーや下町の名店など、三智子が知らなかった世界ばかり。おいしいものを食べるたびに、彼女の視野と心がみるみる広がっていきます。
読んでいるとランチタイムが待ち遠しくてたまらなくなる、まさに「食べて元気になる」小説です。仕事や人間関係にちょっと疲れたとき、アッコさんの豪快な笑顔と「まずはこれ食べて元気出しなさい」という姿勢に背中を押されます。
おわりに
食にまつわる本の魅力は、読む人それぞれの記憶や経験と結びつくところにあります。石井好子のオムレツに自分の留学時代を重ねる人もいれば、森下典子のコロッケに子ども時代の台所を思い出す人もいるでしょう。
今回ご紹介した15冊は、エッセイから小説まで、軽妙なものから重厚なものまで幅広く取り揃えました。読む順番に決まりはありません。気になった一冊を手に取って、ぜひお気に入りの飲み物と一緒にお楽しみください。ただし、空腹時の読書にはくれぐれもご注意を——読み始めたら最後、冷蔵庫を開けずにはいられなくなるかもしれません。
