見出し画像

言葉にならなかった気持ちの行き場について

クリスマス前の灯りの下を歩きながら、
言葉にならずに残った気持ちの影を思っていた。
どこへ向かうこともできず、
胸の奥でそっとたたずんでいる気配だけが、まだ消えない。

クリスマスが近づくと、空気の温度が少しだけやわらかくなる。
街に灯りが増えていくのを眺めていると、
どうしてか「距離」のことを考えていた。

誰かとのあいだにある、見える距離と見えない距離。
つめようと思えばつめられるのに、
いつのまにか空いてしまう“温度差”のようなもの。
今日の仕事の中で、それをそっと意識してしまう出来事があって、
帰り道までその余韻が静かについてきた。

離れて暮らす家族は、本当に“変化”が見えにくい。
久しぶりに会ったとき、
あれ、こんなに弱ってた? と心がざわつく。
その瞬間、過去の記憶と今の姿のあいだに
小さな段差のようなものが生まれる。
その段差を越えきれず、
現実をすぐに受け止められない気持ちは、
正直なところ、私にも少しだけ分かる。

行き場のない心配は、いったいどこへ向かうんだろう。
同居の家族に言えば関係がぎくしゃくする。
本人には言えない。
だけど、不安は黙っていても消えてくれない。
そんな思いが、ときどき私たち介護士のほうへ
そっと流れ込んでくることがある。

責められているわけじゃない。
それはちゃんと分かっている。
それでも胸の奥には、
“ちょっとだけさびしい”が静かに沈んでいく。
ああ、きっと矛先が他になかったんだな——
そう思うと、何も言えなくなる。

それでも、距離があるからこそ守れる優しさもある。
近くにいると、どうしても見えてしまうことがあるから。
老いだったり、弱さだったり、
受け止めたいのに心が追いつかない瞬間だったり。
だから久しぶりに会えたときだけでも
何かしてあげたい気持ちが湧くのは、ごく自然なことだと思う。
その気持ちを否定したいわけではない。

ただ、誤解されるのは、やっぱり痛い。
理解と痛みが、同じ場所に静かに座っているような感覚が残る。

介護を受けている人も、
支える家族も、
そして私たち現場の人間も、
みんな見えないところでがんばっている。
その努力が届かない日があるのと同じくらい、
届いてほしいと思う日もある。
そんな気持ちの揺れが、
胸の奥でいつまでも静かに波打っていた。

距離が生む温度差は、きっと昔から変わらずあるのだろう。
完全に埋まるものじゃないし、
無理に埋める必要もないのかもしれない。

季節が自然に移ろうように、
心も少しずつ変わっていければ、
それだけで十分なのかもしれない——。
そんなことを思いながら、今日の余韻をそっとしまった。

いいなと思ったら応援しよう!