noteの『わざわざ感』が、私のアナログ心にぶっ刺さる
mixi、Facebook、Twitter(現X)。
皆が当たり前のように日常生活にSNSを取り入れる中で、私はそちらの世界に行くタイミングを完全に見失っていた。
数年前、情報収集に便利だと聞き、最先端を生きる母に教わって、Instagramを始めた。もっぱら見る専門だが、『これは便利!』と、私の中の重厚なSNSの扉が少し開いた。
去年の年末、大好きな友人が旦那さんの転勤でメキシコに旅立つ事になった。向こうの生活や治安が気になって、
〚🔍️メキシコ 駐妻〛で検索した。
noteというSNSでメキシコに住んでいる方の日記を読んだ。これが私がnoteを知ったキッカケだった。元々エッセイが好きな私は、初めて見るnoteに衝撃を受けた。
(こ、、、これタダで読んでいいんですかぁぁああ?!)
無課金で見たくもない動画も見ずに、永遠に色んな人達の文章が読める世界があるなんて。私はすぐにnoteアプリをスマホにダウンロードした。
そもそも他のSNSをよく知らないので分からないが、noteは拡散しにくい構造らしい。わざわざ自分から読みたい記事を見つけに行かなければ辿り着けないし、気軽に記事紹介はできないし、コメントのハードルもなかなか高い。DMもリツイート(リポスト?)機能もない。
しかし、そのnoteの『わざわざ感』が、アナログ出身の私には心地良かった。
わざわざ読んでもらってスキをもらって、特にコメントは特別嬉しくて、心がはしゃぐ。ずっと跳び回っている感覚で、ちょっと浮けるのでは( ← わざわざ例えて分かりづらくする )と思うくらいだ。
子供の頃、転勤族の父の仕事の関係で、家族で全国を転々としていた。離れて暮らす祖父母や前の学校の友人たちと、私は沢山手紙を送り合った。お気に入りの便箋に手紙を書いて、封筒に入れて切手を貼って、わざわざポストに投函しに行く。この行為を含めて、私は手紙が大好きだった。そして、いつ届くか分からない手紙を、ドキドキしながら毎日家のポストを覗いて確認する。届いていなかったらガッカリしたり、しなかったり、ラジバンダリ。手紙が届いた日は嬉しくて、ワクワクしながら封筒を丁寧にそぉ〜っと破れないように開ける、あの瞬間が大好きだった。
そんな感覚もしばらく忘れてしまっていたけれど、noteには、あの時ポストを覗いていた子供の頃の感覚に近いものを感じた。
たぶんこれがすぐ簡単に誰かと繋がったり、大量のおすすめ記事が勝手に流れてくるシステムだったら、私はnoteを続けられなかったと思うし、この感覚を味わえなかった気がする。
去年、思い切ってnoteを始めて良かった。
遅咲きデビューも悪くない。
今日も私はワクワクしながら、スキを押しにnoteを不審者のごとくウロウロしている。

#賑やかし帯 (いつきさん、いつもありがとうございます♡)
