舟を担ぐ
春ではない。
だが杏の花が咲いている。
川は見えない。
見えない川のために舟がある。
男たちは舟を担いで坂を登る。
肩へ食い込む木の重み。
汗。
縄の繊維。
ひび割れた塗料。
それだけで十分なはずだった。
しかし木は木だけではない。
フェニキアの港で乾いた杉材。
揚子江を下る船腹。
ヴァイキングの竜骨。
琵琶湖の丸木舟。
あらゆる舟は互いの記憶を持っている。
一本の木材が海を渡るたび、
世界は木目の中へ年輪とは別の時間を刻み込む。
男たちは無言だった。
無言は沈黙ではない。
担がれた重さが言葉を占有している。
古代中国では、
舟という字は谷を渡る器だった。
そう聞いたことがある。
真偽は知らない。
だが字は信用できる。
字は何千年も人間の勘違いを保存してきた。
舟を担ぐ。
奇妙な行為である。
本来なら水へ浮かぶものを、
陸の上で運ぶ。
魚を空へ連れて行くようなものだ。
それでも人間は何千年もそれを続けてきた。
運河の途切れた場所。
峠。
急流。
国境。
世界には、
舟が自力で越えられない場所がある。
だから肩が発明された。
男たちは坂の途中で止まる。
舟の底から影が落ちる。
影も舟の形をしている。
影もまた運ばれている。
私はその影を見ている。
すると突然、
アキレウスの黒い船が現れる。
ホメロスの海風。
青銅の匂い。
浜辺へ引き上げられた船団。
彼らもまた担いだ。
どんな文明も、
水の上だけで成立したことはない。
最後には必ず誰かが肩を使う。
ローマ街道。
シルクロード。
利根川。
ナイル。
歴史とは流通の詩である。
英雄の名は残る。
だが荷を担いだ肩の骨は残らない。
舟はさらに高く運ばれる。
縄が軋む。
木が鳴る。
その音は海に似ている。
いや、
海の方が木に似ているのかもしれない。
海もまた古い舟だからだ。
雲が流れる。
舟も流れる。
ただし今日は空の上を。
男たちは坂の頂へ達する。
向こう側には川がある。
まだ見えない。
だが舟は知っている。
舟はいつも人間より先に水を嗅ぎ当てる。
そこで私は気づく。
担がれているのは舟だけではない。
男たちもまた、
見えない流れによって運ばれている。
祖先から子へ。
港から港へ。
石器から鉄へ。
歌から歌へ。
肩から肩へ。
舟は重い。
だが本当に重いのは、
その中に積まれている何千年分もの通過である。
頂上で男たちは舟を下ろす。
誰も拍手しない。
歴史は、
こういう瞬間を記録しない。
風だけが通る。
風は軽い。
舟は重い。
しかし長い時間の後では、
風の方が多くのものを運ぶ。
男たちは再び縄を握る。
川は近い。
見えない水面が、
世界の反対側から光を返している。
舟はその光へ向かう。
まるで帰還する記憶そのもののように。
