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近江国観音寺城跡大土塁(北尾根道)トレイル本番(近江八幡市)(2024年2月29日(木))

「滋賀咲くブログ」(閉鎖済)から引っ越してきました。

城郭探訪会の例会で観音寺城を探訪しておりますが、観音寺城は非常に広く多彩で、その一部しか訪問できていなかったことから、今回、観音寺城大土塁(北尾根道)トレイルを計画し、滋賀県レイカディア大学地域文化学科同級生4名が参加しました。
今回の大土塁トレイルは下見をしており、下見の様子はこちらに記録しております。
先に述べましたように、観音寺城跡は城郭探訪会の例会として、2022年11月に北腰越登山口から登るコースで訪問しています。その時の様子はこちらに記載しており、追手道からの登山麓の観音寺城城下町石寺の訪問もそれぞれの様子が御覧いただけます。 

観音寺城は、六角氏により近江八幡市金剛寺町にあった金剛寺城(金田館)とセットでつくられ、金剛寺城が平地の城館であったのに対し、詰めの山城であった観音寺城は、その後大規模に整備されたものであると考えられています。この整備には六角定頼が大きく係わっています。 

六角定頼の騎馬像: 今回は観音正寺裏参道より自動車で観音正寺まで行きますが、その途中、観音正寺裏参道入口近くの繖山トンネル前には、14代当主六角定頼の騎馬像が建てられています。 

六角定頼の騎馬像

定頼は先進的な手法で内政に手腕を発揮し、家臣団を繖山に集住させて本拠である観音寺城を整備し、そのため、大永3年(1523)には日本で初めて家臣に城割(支城の破却)を命じました。これは後世の一国一城令の基になったと言われています。 
また、経済発展のため日本で初めて楽市令を出して商人を城下の石寺に集めました。 
さらに、第12代将軍足利義晴を支え、天文15年(1546)に義晴から管領代に任じられています。

裏参道駐車場からトレイルのスタートです。

観音正寺裏参道駐車場

本日のコースでは下図のように、観音寺城跡の大土塁を中心に観音正寺の周囲を巡り、そのコース沿いの曲輪を見学しました。
コースは青色矢印で図中に示しています。

観音寺城曲輪群

川並口道(裏参道)を歩き始めてすぐに「目加田屋敷跡」の表示があり、その下方を見ると大きな目加田邸跡の曲輪がありました。目賀田氏は、中世の近江に生きた武家で、近江守護佐々木六角氏の重臣のひとりとして勢力を誇りました。天正4年(1578)、織田信長が近江に侵攻して安土城を築くにあたり、安土山(目加田山)に在った屋敷を目加田貞政の所領である光明寺野(目加田)に移しています。
天正10年(1582)の本能寺の変勃発後、城主目賀田堅政は明智光秀に加担したことから秀吉に所領を没収され、一族は離散しています。

目加田屋敷跡表示

上記表示の下方に見える曲輪

目加田屋敷跡曲輪

おちゃこ地蔵:
川並口道沿いに目立つように「おちゃこ地蔵」があります。悲劇のヒロインお茶子が亡くなっていた場所(地蔵の前の谷)をお茶子谷と呼び、お茶子の供養のために建てられた地蔵です。

おちゃこ地蔵

布施淡路守邸跡 川並口道より撮影:
川並口道(裏参道)を歩くと、「おちゃこ地蔵」の手前ですが、山上に大きな石塁(石垣と異なり、裏込め石、栗石がない石積み)が見えます。
山頂から東に延びる尾根上の東端に位置する曲輪です。

布施淡路守邸跡石塁 川並口道より

布施淡路守邸跡 虎口(西側)内部より撮影:
川並口道沿いにある「おちゃこ地蔵」の右横の入口から登るとすぐに石塁の端を折り曲げて防御を考慮した形の「布施淡路守邸跡」の枡形状虎口となっていました。
東近江市大森町にある大森城主で、六角氏の被官布施氏の屋敷跡といわれていますが、位置からみて城の東方を防御・監視する役目を担った曲輪と考えられます。訪問時は笹藪になって曲輪中心部には入れませんでしたが、石塁に沿って右回り(西→北→東→南)に巡ってみました。
上に示した地図からは、曲輪は長方形の大きな単郭構造のものです。

布施淡路守邸跡 虎口(西側)

布施淡路守邸跡 南西角石塁内部より撮影

布施淡路守邸跡 南西角石塁

布施淡路守邸跡 西側石塁内部より撮影
この先(北側)に墓石が1つあり、「嘉永壬子四月」(嘉永5年,1852, 4月)と記されていました。

布施淡路守邸跡 西側石塁

布施淡路守邸跡 北側土塁内部より撮影:
こちら側には石塁は使われていませんでした。

布施淡路守邸跡 北側土塁

布施淡路守邸跡 東側石塁外部より撮影

布施淡路守邸跡 東側石塁

布施淡路守邸跡 南側石塁内部より撮影

布施淡路守邸跡 南側

奥之院:
川並口道(裏参道)に戻り、観音正寺方向に進むと観音正寺奥之院入口の鳥居があります。

観音正寺 奥之院

磨崖仏:
鳥居をくぐって登ってゆくと、上方の磐座の石窟内には7体の磨崖仏が薄肉彫されているとのことですが、写真のように近づいて目を凝らしても分かりにくく、特に入口の2体は風化が進んでわからないとのことです。
奥の方の5体は手前から菩薩立像、如来坐像2体、菩薩立像、菩薩坐像で平安時代末期頃のものと言われています。
しかし、それらも確認できませんでした。以前はこの石屈の入口には熊野権現を祀った社殿(建物)がありましたが、今は社殿は岩が崩れてなくなっています。

奥之院 磨崖仏

磐座: 上方を見上げると巨大な岩が石窟の上に載っているのがわかります。

奥之院 磐座

権現見付: 川並口道の城門の遺構です。

権現見付

権現見付「大石垣」(奥之院から撮影):
「大石垣」は権現見付から見えますが、奥之院に上ったときに、上方から権現見付に向かって伸びる「大石垣」も見えましたので撮影しました。

権現見付「大石垣」

観音正寺石塁(石垣):
観音正寺において、ご本尊の拝観を済ませて、寺の敷地の脇から下に降りて西方向にゆきますと、道に沿って観音正寺の石垣があります。 
観音寺城築城により六角氏によって麓に降ろされていた観音寺は、観音寺城廃城後の江戸時代に観音正寺と名を変えて麓から登ってきています。
その時、小さな曲輪が繋がれて、広い現在の観音正寺の敷地が造成されていることから、石垣についても古くからあった石垣に、新しく石垣が継ぎ足され、積み方の技法に違いの見られる場所が段差としてあります。

観音正寺石塁(石垣)

三雲邸跡~蒲生邸跡を抜けて繖山三角点へ:
先へ進むと、繖山の「三角点」方向を示す標識がありますので、そこから北方向に上へと登って行きます。
標識のある辺りは三雲邸跡です。短い距離でしたが、心臓破りの斜面でした。

繖山三角点へ

楢崎邸跡石塁:
三角点に近づいてきますと石塁の長く続いた曲輪(楢崎邸跡)に到達し、上り道は楢崎邸跡の曲輪を迂回するように左(西)側に曲がって行きます。
樽崎氏は、犬上郡多賀町の楢崎城を拠点に鎌倉時代より六角氏の下で軍事部門において活躍した一族で、南北朝時代の軍記物「太平記」にも記されています。

楢崎邸跡石塁

沢田邸跡: 大土塁(北尾根道)に到達し、そこから沢田邸跡の曲輪を見下ろしています。
大土塁は観音寺城跡の北端の尾根筋を土塁として利用したものです。
沢田邸跡の曲輪は城内で最も高い場所に位置する曲輪です。本来ならば尾根上に曲輪を造ってもよい場所ですが、尾根を残して、その南側をわざわざ削り込んで曲輪を造っているのは、天台寺院の跡地を敷地として利用している影響でしょう(地理的な避寒対策もあるかもしれません)。

沢田邸跡

三国丸石塁: 尾根筋の最も高い場所には三国巌と呼ばれる巨石と、石塁によって囲われた三国丸と呼ばれる曲輪があります。
三国が見える所ということで、三国丸と名付けられたようです。北側の防御を固めるポイントとして櫓台的な役割を持っていたと考えられています。
大土塁(北尾根道)の南側には、西側から東側に向けて、馬渕邸跡(蒲生郡馬渕庄(現・近江八幡市)を領する南近江守護代家)・三井邸跡(目加田氏の分家)・伊庭邸(I)跡・馬場邸跡・伊庭邸(II)跡・大見付といった曲輪群が並びます。

三国丸石塁

馬渕邸跡北側の石塁へ: 三国丸を過ぎて馬渕邸跡の北(かつ、上方)の大土塁のさらに北側斜面(眼下)にある曲輪(名称は不明)にも、写真のように虎口のような石塁が見られました。
そこまで下りることができたので、どのようになっているのか下りて、大土塁の方に戻ってきた場面を撮影していますが、そこには次の写真のように大きな石塁がそびえていました。

大土塁北側斜面の石塁へ(馬渕邸跡付近)

馬渕邸跡付近大土塁北側斜面の石塁:
下におりて確認した石塁です。(名称は不明)

大土塁北側斜面の石塁(馬渕邸跡付近)

伊庭邸(I)跡・馬場邸跡間堀切:
近江守護代であった伊庭邸(I)跡から馬場邸跡へ向かう時、それらの曲輪の間は明確に堀切で切られておりました。

伊庭邸(I)跡・馬場邸跡間堀切(上方から撮影)

佐々木城址石碑:
馬場邸跡を出ると佐々木城址の石碑が立っていました。
石碑は大正4年11月に建立されたものです。石碑には扉石郭にあった扉石が使われているようです。

佐々木城址石碑

佐々木城址石碑下に見える奥之院:
ここからは、左下方に奥之院の鳥居が小さく見えています。

佐々木城址石碑の奥之院

伊庭邸(II)跡から曲輪外へ:
佐々木城址石碑を過ぎると、すぐに伊庭氏の伊庭邸(II)跡に入り、写真は石塁を乗り越えて曲輪を出ようとしています。伊庭氏は近江源氏佐々木氏の支流であり、神崎郡伊庭邑(東近江市伊庭町)に居住したことから、伊庭氏を称しました。

伊庭邸(II)跡から曲輪外へ

大見付内部石塁: コースの最後ですが、大見付内部に入り、内部から石塁を撮影しました。
通常、見付とは城門のことですが、この大見付は城門というより曲輪です。

大見付内部石塁

大見付を過ぎると、おちゃこ地蔵左横の登山口に出て、川並口道まで戻り、本日の予定コースはすべて終了しました。
本日は天気が崩れるとの予報で、心配しながら歩きましたが、幸運にも、雨に降られることなく無事トレイルを終了できました。
ちょうどお昼時でしたので、この後、反省を兼ねて、空腹を満たしつつ、喉も潤しました。                    以上

参考図書: 図説六角氏と観音寺城 新谷和之 戎光祥出版

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