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第98回例会「清水山城館跡」(高島市)(2022年10月29日(土))

「滋賀咲くブログ」(閉鎖済)から引っ越してきました。

清水山城館跡」を探訪地として、10月29日(土)第98回例会を開催しました。
清水山城は有名な六角氏(佐々木信綱の三男が祖)や京極氏(四男が祖)が属する近江源氏佐々木氏の一族、佐々木越中氏(信綱の次男が祖=高島氏)により築かれた高島平野最大の山城で、その全域が国史跡に指定されています。

例会の担当学科は草津校43期地域文化及び健康づくり学科で、参加メンバーは常連の42,43期生(それぞれ5, 27名)に加え、44期生23名が今回初めて参加しました(計55名)。
新旭森林スポーツ公園に10時過ぎに集合し、挨拶・ラジオ体操を済ませ、3班に分かれて、清水山城主郭を目指しました。

新旭森林スポーツ公園に集合

途中、清水山城築城以前に存在していた比叡山西塔末寺であった天台寺院 清水寺(せいすいじ)の遺物である石仏が立並ぶ地蔵谷を経由して行きました。

石仏が立並ぶ地蔵谷

途中、清水寺寺坊跡地に建てられた武家屋敷跡の東屋敷越中殿(下写真)、西屋敷加賀殿(いずれも小字名)の土塁を眺めながら進み、主郭に到着しました。

東屋敷越中殿の地域

主郭では書院造風大型建物の礎石を確認しました。

ここの発掘調査では信長による落城直前までの年代に一致する陶磁器類が出土していることから、落城までここで生活が営まれていたことがわかります。
城主佐々木越中氏は浅井氏と共に織田信長に敵対し、1572年7月の戦いに敗れ没落しましたが、その最後は、城が焼けていないことから、「信長公記」の高島攻めが伝える信長の大船に攻められて戦わずして逃亡し、明智光秀に占領されたことがわかります。

主郭での大型建物礎石の説明

主郭で集合写真を撮りましたが、

主郭での集合写真

ここからの眺望は抜群で、大船が出港した対岸の彦根松原だけでなく、琵琶湖のほぼ全域が見渡せました。織田信長の55mの大船がじわじわこちらに攻め寄せてくるのを見るのは、さぞかし恐ろしかったことでしょうし、戦意を喪失して逃亡してもおかしくありません。

主郭から琵琶湖を望む

本当に素晴らしかった清水山城主郭からの眺望をパノラマで示します。

清水山城主郭からの眺望

主郭到着後、希望者は順次、主郭・2郭間の小さな堀切(下写真)を越えて2郭へと移動し、

主郭・2郭間の堀切

2郭・3郭間にある深さ10mもの大堀切の底へと昇降体験を行いました。

清水山城縄張図(ピンクで示した部分は堀切又は竪堀)

当時、ロープは当然ありませんから、体験者の皆さんは、この城を攻めるのは如何に難しいか体感できたはずです。

大堀切の底への昇降体験

昼食後、清水山城楽クラブの皆様が準備して下さった温かい飲み物の接待を受けました。
また、信長との戦いに備え、朝倉氏が協力して改修したと考えられる、主郭東面の県内では数少ない畝状竪堀(畝状空堀)前で、集合写真を撮影しました。

畝状竪堀(畝状空堀)前での集合写真

最後に、麓まで下り、駐車場近くの神社(大将軍社)に立ち寄りましたが、そこには「御屋敷」「犬ノ馬場」という小字名の場所が残されていました。
このことから、「清水山城館」には、麓に「御屋敷」(公的な主殿会所)と弓の鍛錬場があり、山上の主郭には常御殿(大奥のような私的生活空間)が建てられていたと推察され、今回の探訪で戦国時代の「清水山城館」の様子をイメージできました。
この後、ここ大将軍社で、会はお開きとしまして、自家用車又はJRで、各自帰途につきました。

本会の準備・運営に協力いただきました皆様、参加いただき会を楽しく盛り上げていただいた皆様に感謝いたします。       以上

次回例会は2022年11月15日(観音寺城址と観音正寺)に予定されています。

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