『あげまんという名の幻想と、男の甘え』―後方支援を求める男たちが直面する、令和の家庭の歪み―
「内助の功」を欲しがる男ほど、自分の小ささに気づいていない。
『あげまんという名の幻想と、男の甘え』
―後方支援を求める男たちが直面する、令和の家庭の歪み―

「妻の役割とは、内助の功である」
そう語る男の顔には、どこか誇らしげで、同時に時代から少し取り残されたような哀愁が漂っている。もちろん、彼とてバカではない。「女は男の一歩後ろを歩くべきだ」なんて古臭いドグマをそのまま振りかざすほど野蛮ではないのだ。
「男女には質的な差がある。他者の心情を酌む感性の豊かさやキメ細やかさは女性が得意とするところだ。だからこそ、家族を後方支援し、全体を包み込むような存在であってほしい。昔から言う『あげまん』とは、運の良さではなく、そうした精神的な成熟度のことなんだよ」
男の論理はきれいに整っている。真心があり、気が利き、懐が深い妻。そんな美徳を備えた女性を娶れば、男は安心して戦場(仕事)へ向かえる。子育てにおいても、良い影響を与える母であれる。実に美しく、非の打ち所がない理想論だ。
だが、瀬尾ユタカは冷めたコーヒーカップの縁を指でなぞりながら、毒を含んだ笑みを漏らす。
「言いたいことは分かるよ。だがね、その『後方支援』という綺麗な言葉の裏に、男の側の強烈な自立心の欠如が透けて見えるのは僕だけかい?」
男たちが語る「内助の功」や「あげまん」という幻想。それは要するに、「俺が外で安心して格好をつけるために、家の中で俺の承認欲求と精神状態を完璧にメンテナンスしてくれ」という、巨大な甘えの裏返しではないのか。
「妻が外で激しく交遊しているとしたらどうだ?」という問いに対して、男は「肉体的・精神的な渇きを他の男に求めているなら論外だ」と切って捨てる。お互いにそっぽを向いた家庭なんて破綻している、と。
「まあ、日本の道徳観ではそれが正論だろうね。だが、旦那を大事にしながら他所でも遊ぶような『器のデカい女』が存在しないわけじゃない。ただ、それを受け入れられるほど、男側の器がデカいケースが滅多にないだけだ」
男は「お互いを補完しあい、歩み寄ることが大切だ」と締めくくる。旦那が浮気をしているのに妻だけに尽くせと強いるのはお門違いだ、という理屈も分かっている。
しかし、結局のところ、男が求めている「愛情深い」「気が利く」「おおらか」という美徳は、男にとって“都合の良い港”でいてほしいという願望の結晶だ。
お互いに補完し合う関係? 結構じゃないか。だが、妻にそれだけの包容力や美徳を求めるなら、自分はそれに見合うだけの「包み込まれる価値のある男」なのかどうか。
「あげまん」を欲しがる男ほど、自分自身が妻の運気を吸い取る「さげまん」であることに気づいていない。
妻に家庭という港を守らせたいのなら、自分がどれほど荒波に揉まれても帰ってきたくなるような、魅惑的な船長でい続ける覚悟が必要なのだ。理想の妻像を語る前に、自分の背中を鏡で映してみるべきだろう。そこに映っているのは、頼もしい大黒柱か、それとも「ママ」の包容力を妻に求めている大きな子供か。
〈了〉
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