“mental rest”数字の化粧と、すり減る靴底:過去最低という名の麻薬に酔う、現場の果てで
綺麗なお題目で腹は膨らまない。数字の裏で泣くのはいつも現場だ。
数字の化粧と、すり減る靴底
過去最低という名の麻薬に酔う、現場の果てで

夕方の事務所で冷めた缶コーヒーをすすりながら、パソコンの画面に躍る見出しを眺めていた。
『介護職員の離職率、過去最低を維持 全産業を下回る』
思わず鼻で笑ってしまった。12.4パーセント。全産業平均の14.2パーセントを下回ったから「人材定着に一定の成果が出ている」だと?
お偉方や評論家様は、綺麗にまとめられたグラフやパーセンテージを見るのが本当にお好きなようだ。数字というものは便利でいい。現場の汗の匂いも、夜勤明けのくすんだ顔も、すべて綺麗に脱臭して丸め込んでくれるのだから。
うちの町工場がある葛飾の飲み屋街に行けば、老健や訪問介護で働く顔なじみがいくらでもいる。彼らのグラスに焼酎を注ぎながら話を聞いてみろと言いたい。「辞める奴が減った」んじゃない。「逃げ出す体力すら残っていない」か、「他に行く宛てがないからしがみついている」だけだ。
調査の数値をよく見れば、案の定、化けの皮はすぐに剥がれる。29歳以下の若者の離職率は17.3パーセント。結局、若い奴らは先がないと見切ってさっさと泥船から飛び降りているのだ。残されているのは、職場間の格差に喘ぎながら、義理と諦めで腰を痛めているベテランばかり。離職率が20パーセントを超える悪質な事業所が全体の4分之1近くもあるというのに、平均値という便利な化粧で全体をうっすら覆い隠し、「成果が出た」と胸を張る。この国の厚労省や自治体の能天気さには頭が下がる。
「処遇改善」だの「生産性向上」だの、永田町や霞が関から降ってくる横文字や施策はどれも耳ざわりだけはいい。だが現場で必要なのは、理念の唱え込みではなく、毎月の給料袋の重みであり、夜勤の人数枠であり、壊れた腰を休める時間だ。現場をロボットやITで効率化すれば済むと本気で思っているなら、一度その高級なスーツを脱いで、排泄介助や徘徊する老人の相手を丸一日やってみるといい。機械で省力化できる部分など、せいぜい全体の数パーセントに過ぎない。介護の本質は、泥臭い人間と人間の中腰のぶつかり合いなのだ。
外国人材に頼るのも結構だが、言葉も文化も違う国から来てくれた若者に、低い賃金と過酷な労働を押し付けて「日本の介護を支えてくれ」と頼み込む図々しさには反吐が出る。若者が定着しない構造に目をつぶり、穴が開いたバケツに新しい水を注ぎ続けるような真似をいつまで続けるつもりだろうか。
「瀬尾さん、また難しい顔してスマホ見てんの?」
近所の訪問介護事業所に勤めている50代の女性スタッフが、夕方、事務所のドアをノックして集金にやってきた。やつれた顔に、無理やり作った笑顔を貼り付けている。
「いやなに、介護の離職率が過去最低だってニュースに出てたもんでね」
そう答えると、彼女は深いため息をつき、膝をさすりながら言った。
「嘘ばっかり。先月も若い子が二人同時に辞めたわよ。残されたあたしたちのシフト、どうなってると思う? 休みなんて名ばかりよ」
それが現実だ。紙の上の12.4パーセントという数字の裏には、こうして膝を痛め、サービス残業を重ね、それでも「利用者を置いていけない」という責任感だけで踏みとどまっている人間の血と汗がべったりと張り付いている。
定着したのではない。現場が麻痺しているのだ。
数字の化粧が剥げ落ちたとき、そこに残るのはスカスカになった介護の崩壊現場だけだろう。お偉方が誇らしい顔でグラフを眺めている間にも、現場の靴底は今日も着実にすり減っている。
〈了〉
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