見出し画像

二か月後、僕はどこへ座るのか

散髪に行った。

八年間通い続けた理髪店を離れ、妻の紹介で美容室へ向かった。
半ば強制的に。
理由は「イメチェンしてほしい」…。

僕はずっとサイド9ミリ刈り上げのベリーショート一択だった。変化を拒むように、同じ形を繰り返してきた髪型だ。

そこで人生初の体験をした。

幼少期に母に切られた記憶を除けば、初めて女性に髪を切ってもらったのだ。

イメチェンをお願いしたものの、問題は毛量だ。「今すぐ劇的には変えられませんね」と告げられ、まずは“伸ばしながら整える”方針になった。

その瞬間、妙に悔しく、少し悲しくなった。
まるで「あなたの髪にはもう、手の打ちようがない」と言われた気がしたからだ 笑。

これまで通っていた理髪店では、会話は最小限だった。

「いつもと同じで」
その一言が合図となり、店主は同じテンポで、同じ手順で、同じ髪型を再生していく。テレビを一緒に眺め、ニュースに一言二言だけ言葉を交わす。

その淡々とした時間が、実はとても好きだった。

しかし今回の美容室は違う。
怒涛の質問攻めだ。

仕事は?

趣味は?

普段のケアは?

整髪剤は?

さらに黄金比、髪質、セット方法、ケアの重要性までレクチャーされる。

「普段何使ってますか?」と聞かれ、僕は正直に答えた。

「ほぼ何も使っていません。ワックスは“よそ行き”のときだけです」と。

その瞬間、猛烈に恥ずかしくなった。

自分はなんて無頓着なんだ。
世の男性は、こんなにも身だしなみに気を遣っているのか。

妻が心配する理由が、ようやく腑に落ちた。

女性店主のハサミは驚くほど滑らかだった。
どこか曲線的で、包み込むような動き。
男性は直線、女性は曲線が得意という話を思い出しながら、僕は彼女に身を委ねた。

やがてカットが終わり、鏡を覗いた。
違う。確かに、違う。
おしゃれだ。
ほんの少し、イケている!

シャワーは優しく、ヘッドマッサージは極楽。最後には嗅いだことのない、甘い香りのワックスをつけられ、もはや別人になった気分だった。

そのとき、ふと考えた。

二か月後、僕はどちらの店に行くのだろう?

長年通った理髪店か。

今回の美容室か。

美容室のプランは魅力的だし、技術も間違いない。
だが、あの静かで変わらない理髪店も、どうしようもなく愛おしい。シャンプーは少し荒い。でも「ちゃんと洗われている」実感がある。

真夏でも真冬でも、必ず顔に塗られるスースーする冷感剤。あの感覚が、妙にクセになる。

お馴染みの謎トニックの匂いも、嫌いじゃない。むしろ、もう僕の匂いの一部だった気さえする。

いつもの店主の顔が浮かんだ。

もし僕が戻らなかったら、あの人はどんな表情をするのだろう。

美容室の店主は笑顔で言った。

「二か月後くらいに、また来てくださいね」

僕ははっきりと答えた。

「分かりました。ありがとうございました」

店を出て歩き出すと、すれ違ったおばさまと目が合った。彼女は一瞬僕を見て、ニコッと微笑んだ。

やっぱり、イケてる。

そう確信した 笑。



あとがき

本当は、離島の海について書くつもりだった。二月なのに、ビーチで普通に泳ぐ観光客。
その「季節感が崩壊した光景」を描こうと思っていた。しかし気づけば、すべて散髪に持っていかれていた。

読んで頂きありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

ゆとりのある男 読んで頂きありがとうございます!!