孔雀に一時間半を奪われた話
まず最初に言っておきたい。
これは、特に有益な話ではない。
孔雀を眺めていたら一時間半が経っていた、という話だ。
離島の時間感覚、狂ってます
沖縄の離島というのは、時間の流れが違う。
本土にいるときは「1時間半」といえば、会議1本分、移動1本分、映画1本分——何かを「消費」している単位だ。
だが離島では、気づいたら孔雀に使っている。
読書でもしようと思っていた。ちょっとした見晴台のベンチで、本でも開いて、少し賢くなって帰ろうと思っていた。
だが、その一時間半を全て孔雀に奪われた。
最初は風船だと思った
ベンチに座り、なんとなく前方の木々に目をやった。
青い塊が、ゆっくり動いている。
「風船か?」
この鮮やかな青。大きさ。でもガサガサと蠢く音がする。
これは明らかに、生命体の音だ。
凝視する。
大きなオスの孔雀だった。

孔雀を見ても驚かない。この島には野生化した孔雀がたくさん生息している。驚いたのは別の理由だ——至近距離なのに、逃げないのだ。
孔雀は本来、警戒心の塊だ。人の気配を察知すると、あの長い尾っぽを翻して一目散に逃げていく。それが常識だ。
なのに、こいつは逃げない。
話し声も聞こえていないかのように、ただ、佇んでいる。
その姿は、神々しいとも言えるし、のんきとも言える。
親分の登場、そして下僕たちの集結
しばらくすると、反対の茂みからもガサガサと音がした。
「またか」と思ったら、案の定もう3羽。
オスが1羽、メスが2羽。

いつの間にか、小さな見晴台は4羽の孔雀に囲まれた。
3羽は芝生の草をつつきながら、木に止まった大きな孔雀に向かってじわじわ近づいていく。大きな孔雀は首をキョロキョロさせながら、3羽を見下ろしている。
親分の元へ集まる下僕たち、だと思った。
ここでふと、オスの全身をまじまじと見た。でかい。というか、長い。横方向に、とにかく長い。5人掛けの円卓よりも長い。
その体で茂みをかき分け、木々に飛び移り、走る。
見れば見るほど、よくそんな体でやってるな、と思う。

斜面へオスが歩いていく。長い尾をピンと持ち上げ、アスファルトに擦らないようにして降りてくる。意外と繊細な気遣いを見せた。
親分説、崩れる
ここで急展開が起きた。
オスとメス1羽が、親分を完全無視してどんどん坂を降りていき、姿を消した。
残るは、木に鎮座する親分と、草をつつき続けるメスのみ。
「そろそろ親分も動くだろう」と思って見ていると——
動かない。
飛び降りようとして、やめる。
また構えて、やめる。
後退りして、元の場所に戻る。
…あ、これ降りられないやつだ。
「親分」は、木に登ったものの降りられなくて、ずっと困っていたのではないか。
あの堂々たる佇まい、キョロキョロした視線——全部、助けを求めていたのではないか。
神々しさが、一気にコントに変わった瞬間だった。
ついに、意を決して飛んだ。
バキバキバキ。
轟音とともに、1本下の枝へ。
でかい体で、ほんの少しの移動。
もう一度、轟音。
そして、視界から消えた。
飛んだのか、落ちたのかは、わからない。
ただ、姿を消した。
メスは何事もなかったかのように、草をつついていた。
正直、本より面白かった。
読書の予定だったが、完全に上回った。
帰宅後、ひとつだけ謎が残っていた。
なぜあんなに近づいても、気づかれなかったのか。
気になって、AIに聞いた。
答えは意外に明快だった。
孔雀の視野は横方向に約300度と非常に広い。が、構造上「真上」と「真後ろ」は完全な死角になる。
つまり、見晴台のベンチから下を見下ろしていた僕たちは、孔雀にとって「頭上の死角」にすっぽりはまっていたのだ。
さらに声についても、屋外の高台からの話し声は風向きや周囲の環境音によって下へ届きにくい。孔雀は「地面を近づく足音」や「横方向の不審な動き」には敏感に反応するが、上方向からの遠い声は直接の危険として認識しないらしい。
結論:孔雀は油断していたのではなく、物理的に気づけなかった。
あの神々しい佇まいには、ちゃんと理由があった。
何の話だったか
一時間半。
孔雀を見ていた。
帰って、孔雀について調べた。
そして今、あなたに孔雀の話を書いている。
離島の時間とは、こういうものだ。
意味があるかどうかは、後でわかる。
あるいは、ずっとわからない。
それでも、悪くない一時間半だった。
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