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限りある時間の使い方

タイトルに類似した書籍があるようだが本文とは無関係だ。
これは、田舎の離島で過ごす1日の些細なエッセイである。

休日の今日は18時半から友人と食事に行く予定だ。食事後は帰宅し、速攻で就寝するのだろう。今朝も起床時間は6時半。実質12時間の自由な時間(ほぼ他人に束縛されない時間)がある。

限られた12時間をほぼ孤独に過ごしている。孤独の良さとは、行動の高い自由度と柔軟な決断力であろうか。孤独な時間こそ至福の時間でもあり、決してネガティブな時間ではない。その点は強く強調して申し上げたい。

朝、釣りに行くため準備をしていた時だ。職場に一瞬顔を出さねばならぬ事態に見舞われた。限りある時間を初っ端から奪われ憤慨した・・・
15分程度のロスで事なきを終え、海へと向かった。若干の憤り、苛立ちが残っていた。海に向う道中に、森林に囲まれた細い小路がある。小道に入ると森の香りに包まれ、気温が2〜3℃下がったようなヒンヤリした風が吹き抜ける。不思議なもので、小道を通り過ぎる頃には冷静さを取り戻し、釣りへの期待へと気分は大きく変わっていた。

海に9時半頃到着した。朝、10月後半の沖縄離島の海は涼しい。ただし、気温は27℃で晴天。日焼けする事態からは逃れなれない。海水に足を入れると冷たく気持ちが良い。
「涼しい」の概念が狂ってきているのではないか、無意味な思考が駆け巡った。
日焼けをし、海に気持ちよく入水できる気温帯を涼しいと感じるのは、南国生活特有の思考なのだろうか・・・
(観光客は暑いと思うはずだ)

わけの分からない、無意味な考えを巡らせながら釣りを開始したのだった。

釣果は良かった。コチ(ミナミマゴチ)50cmが釣れたのが大満足である。コチは不思議である。針にヒットした瞬間の手応えは申し分なく強い。だが、罠に掛かった事実を受け止め、絶望するのだろうか?急に動きを止めるのだ。糸を巻くこちらは、まるで石を引っ張り上げるかのように重厚感のみを感じる。岸際まで上がってくると何を思ったのか、急発進、大暴れを今更感満載で始めるのだ。このサイクルを全コチが行うため、ヒットした瞬間の動きでコチか、他魚種か判断できるスキルが身に付いた。
コチの有益な情報はここまでとし、海の気候と釣果ともに大満足にて帰宅したのだった。

ミナミマゴチ

釣具の片付け、シャワーを浴び時刻は12時半である。3時間以上、屋外で活動していた為、すこぶる腹が減っていた。作るのも面倒となり、レトルトカレーを食べ腹を満たす。空腹の次にやってくるのが、疲労感と眠気。しかし対抗するかのように買い物、洗濯などの家事が溜まっている。極めつけには、病院に行き薬を受け取らねばならない・・・
30分昼寝をした。
時刻は13時半を過ぎている。
残された時間は約5時間・・・
時間は有限でありますな。

ドタバタやるべきことをこなしつつ16時半からnoteを書いている。
限られた時間しか無いのは事実だ。
だからといって、予定を詰め込み、常に忙しなく、時間を無駄にせぬよう努めて生きるスタイルは合わない気がする。
何だか生き急いでいるような、そんな振る舞いに感じるのだ。

人生の時間は限られている。
この事実をどう捉えて生きていくのか?
個人的には、ゆとりを持って無駄な事も挟みつつ、ただし人生の時間は限られている事は常に意識して生きていきたい。


書いていると「限りある時間の使い方」を読みたくなった。
そんな今日の思うことでありました。












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