「50代の登山」 白井差へと導かれた両神山
5月上旬、両神山に向かった。もともとこの日は、友人と別の山に行く予定だった。しかし体調不良の連絡が入り、急遽行き先を変えることにした。
ふと思い出したのが、去年から温めていた両神山。友人に「奥秩父の山が良かった」と聞き、気になっていた。計画したものの、2度天候に恵まれず断念していた山である。
国民宿舎・両神荘を確認すると、空きがある。これ幸いと、一人で向かうことを決めた。


両神山という山
埼玉県秩父市と小鹿野町の境に位置する標高1,723mの日本百名山。硬い岩盤による鋸歯状の険しい山容が特徴で、古くから山岳信仰の山として知られる。山頂からは秩父山地や関東平野を一望でき、春はアカヤシオ、秋は紅葉と四季の自然が楽しめる。
行動時間5時間半、距離6.2km、累積標高920m。
朝から計画が変わった
日向大谷登山口へのバスに間に合うよう、部屋を6時過ぎに出た。エレベーターで3人組の女性と一緒になった。彼女たちも両神山へ行くという。ご挨拶だけして別れた。

道の駅のバス停へ急ぐ途中、ご夫婦が声をかけてきた。「両神山に行くの?日向大谷からはしんどかった。15時のバスに間に合わなかったの」と奥様。
そこへ、さっきの3人組が車で通りかかった。窓を開けて「どこのコースを歩くの?」と。「日向大谷です」と答えると、「よかったら乗る?私たちは白井差登山口に行くんだけど」。ご夫婦も「そっちのほうが楽でいいよ」と背中を押してくれた。

こうして、朝から登山計画が変わった。腰痛怪獣の事もあるので、白井差の方がいい気がした。最近こういうことが多い。麻呂眉毛が福を呼ぶのか。
お姉さんたちは、福岡から羽田に飛んでレンタカーで来たという。60〜70代、山の会に所属するベテランたち。車内での会話はすでに楽しかった。登山の3人組は、役割分担が絶妙で、息が合っている。十年後の自分たちを見ているようで、思わず微笑んでしまった。
「やっかいなおっちゃん」と思ってしまった
約30分で登山口に到着。白井差コースは私有地のため事前連絡が必要で、地権者の山中さんが出迎えてくれた。

私が「帰りは日向大谷へ下山したい」と話した途端、山中さんの顔が険しくなった。登山者が安全に戻ってくるのを見届けることが、山中さんの仕事。本来20分ほどの登山道の説明(それでも長い 笑)が、この一件でさらに20分追加された。正直に言えば、「やっかいなおっちゃんやな」と思った。

しかし、お姉さんたちのコミュニケーション力が見事だった。山中さんの話をゆっくり受け止め、自然に笑顔を引き出していく。そのうち山中さんの表情がほぐれ、語り始めた話を、私は黙って聞き入った。
山中さんは36年間、山岳救助チームを発足させ活動してきたという。この登山口へバスで来られるよう、時刻表まで自分が決めたとのこと。横にいた女性が「ごめんなさいね、話が長くて。この人、本当に山が好きなだけなんです」と言った。言われなくてもわかっていた。山中さんの語りも表情も、全部がそう言っていた。
さらに、熊除けにヘルメットを持参したというお姉さんたちに、熊スプレーまで貸してくれた。「ここの熊は逃げるから大丈夫」と言いながら、「食われるなら一番若い私が食われたらいい」と笑った。

40分のレクチャー(?)を終えてようやく入山すると、手作りの橋、整備の道具、マーキング、木に忍ばせた殺虫剤。山中さんがこの山をどれだけ大事にしているか、歩くほどに伝わってきた。最初に「やっかいなおっちゃん」と思ってしまった自分が、情けなかった。



新緑の稜線へ
序盤は沢筋をたどり、幾度か木製の橋を渡る。「昇竜ノ滝」を過ぎ、「水晶坂」の急登をこなすと、ブナが立ち並ぶ「ブナ平」に出た。広々とした静かな場所で行動食を食べながら、ひと息ついた。

そのあとも、つづら折れの歩きやすい道が続いた。



山頂直下の鎖場を越えると、甲武信ヶ岳、浅間山、富士山、八ヶ岳がくっきりと並ぶ。来てよかった、と思った。



しばらくすると、お姉さんたちも登ってきた。もしかしたらこれが最後かもしれないと、三人揃っての写真を撮ってお礼を言い、先に下山を始めた。
山中さんが、笑顔で歩いていた
下山途中、ツアーの団体とすれ違った。よく見ると、その中に見覚えのある顔がある。山中さんだ。ツアーに紛れ込み、嬉しそうに歩いている。この方は本当に山が好きなんだな、とまた思った。

昇竜ノ滝を見ながらゆっくり歩いていると、後ろから「お〜い!」と声がした。お姉さんたちだった。「車で送っていくよ〜。バス停で熊に襲われたら駄目だから、って山中さんにも言われたの〜」と笑っている。そしてみんなで「山中さん、いい人だったね」と話しながら、駐車場へ戻った。

下山後、環境整備費の1,000円を支払い、バッジをもらった。後払いなのは、「登頂して無事に帰ってきた人からだけ頂く」という、山中さんの心遣いだった。

全部、つながっていたのかもしれない
朝、お姉さんたちに会わなければ、ご夫婦に声をかけられなければ、私は白井差コースを歩かなかった。そして山中さんの、両神山への思いを知ることもなかった。

九州なまりのお姉さんたちの優しさ、翌日は雲取山に行くという体力と行動力。狭い山道をこなす巧みなハンドル捌き。3人の絶妙なボケとツッコミ。一人なのに、またしても忘れられない山行となった。
思えば、両神山には2度雨に降られ、来られなかった。友人の体調不良も、コース変更も。この出会いのために、ひとつひとつ積み重なっていたのかもしれない。そう思うと、山が少し違って見えた。

おまけ 宝登山へ
お姉さんたちのおかげで、秩父へのバスに早めに乗れた。せっかくなので、ロープウェイで登れる宝登山(標高497m)へも足を伸ばした。山頂から秩父の山々を眺めながら、両神山の余韻に浸る。この山に来られたのも、お姉さんたちのおかげ。
どこまでも、導かれた一日だった。

