漫画家アシスタント物語 第7章 〈6〉 漫画を描き借金して払う!
《 写真上: 東京目白、某マンションの夕暮れです。中央のドアが私の勤める秋山プロのドアです。陽が沈むこの時間の色がイイですね。2009年9月 》
< この7章〈6〉は、文庫本約23ページ分 >
初めての方は、「漫画家アシスタント物語 第1章」(無料)がお薦めです。
または、「マガジン:第1章、第2章」(無料)でも読みやすいです、はい!
その27
私と同じ様に「 週刊ヤングJ 」誌で漫画賞を取った新人で、私が最も会って話をしたかったのが〇々木君( ※参照 )でした。
私より10歳位( 不確かですが )若かった彼が亡くなったのは‥‥
1994年‥‥ 彼の初連載が始まった時でした。
その数年前‥‥ 私が「 蟹工船 」を漫画にしていた同じ頃に、〇々木君は夏目漱石( ※参照 )の「 こころ 」や「 それから 」などを漫画化していたのです。
それらの作品を見ると、漱石の描く人物像を見事に表現しています。 他の漫画作品がまったくありきたりで単純‥‥ まるでパンフレットような絵なのに、〇々木君のそれは、深みがあって美しかった( 文学的だった )のです。
もっとも‥‥ 娯楽漫画としては‥‥ まったく一般ウケしないものだったと思います。 私は彼の作品が今は一般ウケしなくてもいずれ、その才能は頭角を現すだろうと思っていました。
その後、短編の作品を数本発表していますが、人物と背景が極端に緻密でリアルになり、画面が陰鬱になって来ている事が少し心配だったのですが‥‥
「 遺稿 」( 連載漫画第一回 )には、そんな「 陰鬱 」とした影は微塵もなく‥‥ 完全に生まれ変わった様に「 週刊ヤングJ 」の明るい「 連載漫画」に脱皮していました。
まさに「 大化け 」( デビューから苦節6~7年? )した瞬間‥‥ 〇々木君は逝ってしまったのです。
コンビニで仕事をしながら何年も漫画を描き続けていた彼にどんな事があったのか‥‥‥‥ 私には何もわかりません‥‥‥‥
私はただ、ガックリと力が抜けてしまいました‥‥‥‥
正直‥‥ 当時の‥‥ 私の日常は‥‥‥‥
ゲームを止めて、ただ漫画一筋に頑張る‥‥‥‥ そんな体裁の良いものはなく‥‥‥‥
日常の雑事をゆっくりとこなしながら‥‥ 子供の火遊びのようにこっそりと時間を無駄にしつつ‥‥
『 そろそろ‥‥ 漫画描かないといけないな‥‥ 』
自分の漫画を描くために、積極的に机に向かうのではなく‥‥
果たさねばならない義務を果たすために‥‥ 重い腰を上げる‥‥ そんな情けない有り様でした。
まるで、士気の下がった兵士の様に塹壕の中でグズグズと戦うふりをしていたわけです。
こんな状態でしたから、せっかくゲームを止めても効率良く漫画が描けたわけではありませんでした。
さて‥‥ 話を「 サイコホスピダー 」( ※参照 )制作時の出来事に戻しましょう‥‥‥‥
私が漫画を描く事の喜びや希望を失いつつあったこの頃の出来事で、もう一つ忘れる事の出来ない思い出があります‥‥
1994年、秋‥‥
それは、U病院事件( ※参照 )の民事訴訟の裁判を傍聴した日の事でした‥‥
私が漫画化しようとしていた「 〇魔の精神病棟 」( ※参照 )の作者であるT氏( ※参照 )は、病院や事件の関係者を告発していましたので、毎月、霞が関にある地方裁判所に出廷していたのです。
私は単行本制作のために裁判の傍聴に出掛けたのですが‥‥ その日は、「 サイコホスピダー 」の担当編集員М氏( ※参照 )とT氏の3人で、裁判後に一緒にコーヒーを飲みました。 時間は‥‥ 11時頃だったと思います‥‥
私はお昼から秋山プロでの仕事があったのですが‥‥ 10分位なら余裕があるかな‥‥ と、コーヒーにお付き合いしました。
しかし、話は裁判の話ではなく、単行本の漫画化作業についての打ち合わせになってしまい‥‥ 10分や20分では済まなくなり‥‥
『 ヤバ‥‥ もうすぐ仕事が始まる‥‥! 』
「その28」より‥‥
仕事遅刻の目論見がジョージ先生の逆鱗に! そして、事態は絶望の淵へ!

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