第1話 新宿駅の駅神様
朝六時。まだ街が完全に目を覚ます前から、新宿駅のホームは人で埋まり始める。
その天井のどこか、誰の目にも映らない空間に、小さな神様が腰かけていた。丸い顔にちょこんと帽子をかぶり、湯気の立つコーヒーをすすりながら、人の流れを見守っている。
「ふぅ……今日もいい波、いや、人波だね」
駅神様にとって、ホームを行き交う人々は川の流れのようなもの。サラリーマンの黒いスーツは濃い流れ、学生の制服は細い支流。観光客のカラフルな荷物は水面に浮かぶ小舟みたいで、全体の動きをほんの少し変える。
今日も、改札に向かって走る青年が一人。あと十五秒で電車が発車する。駅神様はちょっとだけ息を吹きかけた。青年の足取りが軽くなり、間一髪で電車に滑り込む。
「うん、これで一人の一日が始まる。めでたしめでたし」
すると、今度は反対側で女子高生が鞄をひっくり返してしまった。床に散らばる教科書とペン。慌てて拾おうとするが、電車はもうすぐ発車する。駅神様は小さく指を鳴らした。すると、たまたま通りかかったおばあさんが「大丈夫?」と声をかけ、一緒に拾ってくれた。女子高生は笑顔で「ありがとうございます!」とお辞儀をし、その電車には乗らずに次を待つことにした。
「うんうん、急がなくてもいい日だってあるさ」
神様は頷き、コーヒーをもう一口。
だが――次の瞬間、改札口で外国人観光客の集団がスマホ片手に立ち尽くし、「ハチ公? ハチコー?」と大合唱を始めた。駅神様は「おっと……」と慌てて地図をぱらぱらっと広げる。線路の上に広げた透明な地図は、彼らのスマホ画面に自然と反映され、道順が示される。
「これで渋谷行きに迷わず乗れるはず」
駅神様は胸をなでおろす。
だが次の瞬間――、アナウンスが響いた。
『ただいまの人身事故の影響で、山手線は大幅に遅れています』
「うわあぁぁ……!」
駅神様の頭から、コーヒーの湯気が一気に冷める。
駅神様にだって、どうにもならないことはあるのだ。
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