清明 - 澄んでくる景色と、澄んでくる自分
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
暦は、清明。
“清”く、
“明”るい。
空気が澄み、
景色が少しずつ、はっきりしてくるころです。
春の光はやわらかいまま、
でもどこか輪郭が出てきて、
世界が少しだけ見えやすくなる。
そんな時期です。
立春のころは、
まだ光だけが先に春でした。
雨水では、
凍っていたものがゆるみ始めた。
啓蟄では、
内側で眠っていたものが、そっと動き始めた。
春分を過ぎて、
バランスが少し戻り始める。
そして、清明では、
その流れが、
景色にも、自分の内側にも、少しずつ現れてくる。
この時期は、
「なんとなくわかる」が
「少しはっきりする」に変わっていきます。
ぼんやりしていたものが、
少し見えてくる。
心の揺れの理由がわかったり、
最近の疲れ方に気づいたり、
本当は何に無理をしていたのかが
静かに見えてきたりします。
清明は、
そういう“見えてくる季節”でもあります。
でも、
見えてくることは、
いつも心地いいことばかりではありません。
本当は疲れていたこと。
無理していたこと。
笑っていたけれど、
少し我慢していたこと。
そういうものも、
澄んだ景色の中では
ごまかしにくくなります。
だからこの時期、
人によっては、少しだけ
落ち着かないこともあります。
それは悪いことではありません。
むしろ、
見えなかったものが、見えてきた証拠。
ととのっていないのではなく、
ととのいに向かうために
必要なものが浮かび上がってきているだけ。
春の光は、
ただ明るいだけではなく、
隠れていたものを照らします。
清明のころに大切なのは、
“無理に前向きにならないこと”。
明るい季節になると、
つい気持ちも
明るくしていかなきゃと思ってしまう。
でも、
光が入るときには、
影も一緒に見えるものです。
元気が出る日があってもいい。
少し静かになりたい日があってもいい。
どちらも、春の途中。
この時期のととのえ方は、
見えてきたものを、そのまま受け取ること。
「やっぱり疲れていたんだな」
「少し無理していたんだな」
「本当は、こうしたかったんだな」
余計なことを考えて
判断をしないで、
見えたものを、そのまま受け止め、
ゆるしてあげる。
それだけで、
心も体も
少しずつ澄んでいきます。
清明は、
何かを一気に変える季節ではありません。
ただ、
濁っていたものが澄み、
曇っていたものが明るくなり、
少しだけ見えやすくなる季節。
だからこそ、
焦らなくていい。
答えを急がなくていい。
見えてきたものに、
すぐ意味をつけなくてもいい。
景色が澄んでくるように、
自分の内側も、
少しずつ澄んでいきます。
その途中で立ち止まることも、
ととのいのひとつです。
今日は、
「見えてきたものがある」ということだけ
受け取れたら十分です。
また、
次の節気でお会いしましょう。
ととのえ職人
五木田穣

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