ととのえ職人とは何か
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
私は「ととのえ職人」と名乗って、
心と体と思考のズレを、
やさしくととのえる活動をしています。
けれど、
ととのえ職人って何?と思う方が多いと思います。
何をととのえるのか。
なぜ「整える」ではなく、「ととのえる」なのか。
そして、なぜ“職人”なのか。
今日は、
そんな話を書いてみようと思います。
「ととのえる」を、ひらがなで書く理由
私は「ととのえる」という言葉を、
あえてひらがなで書いています。
それは、
この言葉に、
「整える」と「調える」
その両方の意味を込めているからです。
整える。
それは、乱れたものを整頓したり、
形を整えたり、
必要なものを配置していくこと。
調える。
それは、本来の調子に戻っていくこと。
無理をしていた力が抜けて、
呼吸や感覚や在り方が、
自分に合った状態へと戻っていくこと。
私は、
このどちらも大切だと思っています。
見た目だけ整っていても、
中の感覚が置いていかれていたら、
それは苦しさにつながることがあります。
逆に、
感覚はあっても、
暮らしや習慣が乱れていれば、
やはり生きづらさが生まれることがあります。
だから私にとって
「ととのえる」とは、
表面だけでも、内面だけでもなく、
その人全体が、本来の調和に近づいていくこと
と、考えています。
私が見ているのは、体だけではありません
私が関わっているのは、
体のことだけではありません。
もちろん、
呼吸や姿勢や動作は、とても大切です。
けれど、
人は体だけで生きているわけではありません。
考えすぎると、体が固くなることがある。
体が緊張していると、心まで落ち着かなくなることがある。
安心できない状態が続くと、
思考の判断までズレていくことがある。
そんなふうに、
心と体と思考は、
本当はいつもつながっています。
だから私は、
一部分だけを切り取って何とかしようとするよりも、
その人全体を観ることを大切にしています。
体だけを整えても、
思考が追い立て続けていれば、
また苦しくなることがある。
心だけをゆるめようとしても、
体がずっと緊張していれば、
安心できないことがある。
その人の中で、
何がどうつながって、
どこでズレているのか。
そこを丁寧に観ていくことが、
私のしていることのひとつです。
ととのえるとは、何かを足すことではなく、還ること
世の中には、
何かを足すための情報がたくさんあります。
もっと頑張ったほうがいい。
もっと学んだほうがいい。
もっと変わったほうがいい。
もっとできるようになったほうがいい。
もちろん、
必要な学びや努力もあります。
でも、
本当に必要なのは、
“足りないものを増やすこと”ではなく、
余計な力を抜いて、自分に還ること
だったりします。
私はこれまで、
たくさんの人の心と体に関わる中で、
できないことそのものよりも、
ズレたまま頑張り続けていることのほうが、
人を苦しくさせる場面を多く見てきました。
本当は疲れているのに、
まだやれると思ってしまう。
本当は安心していないのに、
大丈夫だと言い聞かせてしまう。
本当は苦しいのに、
ちゃんとしようとしてしまう。
そうやって、
自分の感覚よりも、
正しさや役割や習慣を優先し続けると、
少しずつズレていきます。
だから私にとって「ととのえる」とは、
何か新しい自分になることではありません。
本来の感覚を思い出していくこと。
呼吸を取り戻していくこと。
自分に還っていくこと。
それが、
“ととのえる”ということの本質です。
なぜ“職人”なのか
では、
なぜ私は“ととのえ屋”でもなく、
“セラピスト”でもなく、“コーチ”でもなく、
「ととのえ職人」と名乗っているのか。
それは、ととのえ職人としての在り方は、
目の前の人や場に対して、
丁寧に向き合い続ける営み
だと思っているからです。
職人という言葉には、
派手さよりも、積み重ねがあります。
繊細さがあります。
近道よりも、観ること。
決めつけることよりも、聴くこと。
型にはめることよりも、
その人に合った最善を探ること。
毎回まったく同じことをするのではなく、
目の前の人の状態を感じ、
必要な関わり方を選び、
ときには何かを足し、
ときには何かを引き、
ときにはただ待つ。
そういう在り方は、
私の中で“職人”だと思いました。
上手に見せることよりも、
誠実に向き合うこと。
正しさを押しつけることよりも、
その人の本質が観えてくるのを手伝うこと。
ととのえることに対する
熟練した知識と技術と経験がある。
ととのえることの職人である。
自分自身を表現するのに、
これほど適した名前はないと思いました。
だから私は、
この名前を気に入っています。
私が目指しているもの
私が目指しているのは、
単に不調をどうにかすることだけではありません。
もちろん、
痛みや違和感がやわらぐことも大事です。
苦しさが軽くなることも大事です。
でもそれだけではなく、
私はその先にあるものを観ています。
それは、
その人がその人らしく、生きやすくなっていくこと。
無理をしなくても呼吸ができること。
ちゃんとしすぎなくても大丈夫だと思えること。
自分の感覚を信じられること。
誰かとつながることが、しんどさではなく安心になること。
そして、
自分の内側だけでなく、
人との関係や、
働き方や、
日々の暮らしの中にも、
少しずつ調和が広がっていくこと。
私は、
ととのえることは、
単に体を整えることではなく、
単に心を整えるだけでもなく、
生き方そのものに触れていくこと
だと思っています。
場をひらくことも、そのひとつです
私はこれまで、
個人のセッションだけでなく、
講演や研修、学びの場や対話の場にも関わってきました。
その中で、
人がととのっていくのは、
自分ひとりの中だけではなく、
場や関係性の中でも起きること
だと感じました。
安心できる場では、
呼吸が変わります。
人との距離感が変わります。
自分の言葉が出てきやすくなります。
逆に、
緊張の強い場では、
思っていることが言えなくなったり、
本来の感覚が閉じてしまったりすることもあります。
だから、
ととのえることは、人ひとりの範囲ではありません。
人との関係性のなかでととのっていくもの。
場をととのえることで、一人ひとりがととのっていくもの。
目の前の一人をととのえること。
場全体の呼吸をととのえること。
どちらも、
私にとって大切な仕事です。
ととのえ職人とは
ここまで書いてきて、
あらためて言葉にするなら、
ととのえ職人とは、
心と体と思考のズレをやさしくととのえながら、
その人が自分に還っていけるように手伝う人
と言えるでしょうか。
そしてもう少し言うなら、
人をととのえる人ではなく、
その人が本来の調和を思い出せるように関わる人
と言ってもいいかもしれません。
私は、
誰かを変えたいわけではありません。
ただ、
ずっと頑張ってきた人が、
ようやく力を抜けること。
自分の感覚を見失っていた人が、
少しずつ自分に戻っていけること。
「このままでは苦しい」と感じていた人が、
もう少し呼吸しやすく、生きやすくなっていくこと。
そのためのお手伝いができたらと思っています。
おわりに
「ととのえ職人」という名前は、
少しやわらかくて、
少し不思議で、
少し説明しにくい名前です。
でも私は、
その説明しきれなさも含めて
大事にしています。
人はそんなに単純ではなく、
心と体と思考も、
きれいに切り分けられるものではないから。
だからこそ、
ひとつの言葉で言い切りすぎず、
でも、ちゃんと想いを込めて、
私はこの名前を使っています。
必要な人に、必要な形で届けばいい。
そしてその人が、
少しずつ自分に還り、
自分らしく在れる時間や場所を取り戻していけたらうれしい。
そんな思いで、
今日も「ととのえ職人」と名乗っています。
ととのえ職人、五木田穣でした。
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