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「若い人に任せたい」という言葉に、少し引っかかる理由

会場の空気が、拍手で少しだけゆるんだ。
壇上の人は、締めくくるようにこう言った。
「これからは、ぜひ君たち若い世代が引っ張っていってほしい」

よく聞く言葉だと思う。
実際、そこには期待もあるのだろうし、
世代交代の必要性も
含まれているのだと思う。

ただ私は、こういう言葉を聞くたびに、
少しだけ引っかかることがある。
前向きな励ましとして受け取れば
いいのかもしれない。
でも、なぜかそのままでは
受け取れないことがある。

それはたぶん、
若い世代に任せること自体が嫌なのではない。
託すというより、急に背負わせる
ように聞こえてしまう瞬間がある
からだと思う。

「任せる」こと自体は、悪いことではない

もちろん、
次の世代に任せていくことは大切だ。
ずっと同じ人が担い続けるわけにはいかないし、
若い人が経験を積つ機会も必要になる。

年配の立場からすれば、
「そろそろ次に渡していきたい」
「若い人にも前に出てほしい」
そう思うのは、ごく自然なことだと思う。

実際、そこには期待もあるし、
応援の気持ちもあるのだろう。

だからこそ、この話は
「年配の人が悪い」と言いたいわけではない。
むしろ、問題はもっと別のところに
ある気がしている。

引っかかるのは、
任せることそのものではなく、任せ方
なのだ。

託す前に、少しだけ見せてほしいものがある

たとえば、こんなふうに言われたら、
受け取り方はかなり違うと思う。

自分たちはここまでやってきた。
こういう壁があって、
こういう事情があって、
ここまでは進めてきた。
でも、立場や時間の制約もあって、
この先は次の人たちに託したい。
必要なことは引き継ぎたいし、
できる支えは残したい。

ここまで言葉があれば、
受け取る側も構え方が変わる。
そこには経緯があるし、
何をどこまで渡そうとしているのかも
見えるからだ。

でも現実には、
その途中の説明がほとんどないまま、
最後の一言だけが置かれることがある。

「これからは若い世代に」
「次は君たちが」
「未来は若い人にかかっている」

もちろん、
それ自体は間違った言葉ではない。
ただ、前提が共有されていないと、
受け取る側には少し重く響くことがある。

期待されているというより、
整理されていない課題まで
一緒に渡されたように感じる
ことがあるからだ。

たぶん、すれ違っている

この違和感は、
誰かの性格が悪いという話ではなく、
たぶん託す側と託される側で、
見えている景色が違う
のだと思う。

託す側には、
ここまでやってきた積み重ねがある。
言葉にしなくても分かるだろう、
という感覚もあるかもしれない。
あるいは、自分たちなりに
十分やってきたという実感もあるだろう。

一方で、受け取る側には、
その見えない部分が見えない。
何がどこまで終わっていて、
何が未整理なのか。
どこからが自分たちの役割で、
どこまで支えてもらえるのか。
そこが分からないまま「頼む」
と言われると、やはり戸惑う。

つまり、問題なのは期待の有無ではなく、
期待が、文脈なしに届いてしまうこと
なのだと思う。

経験を積ませることと、一人で背負わせることは違う

若い人に経験を積んでほしい。
それは本当にその通りだと思う。

ただ、経験を積むというのは、
難しい仕事を渡すことだけではない。
困ったときに相談できること。
途中で「大丈夫か」と
声をかけてもらえること。
失敗したときに、
全部を本人の責任にしないこと。
そういう支えも含めて、
経験になるのだと思う。

逆に、責任だけ大きくて、
権限も支援も少ないまま
「若い人のためになるから」
と渡されると、
それは育成というより消耗に近くなる。

若い世代が求めているのは、
全部を守ってもらうことではない。
ただ、せめて

どこまでやってきたのか。
なぜ今ここで手渡すのか。
手渡したあとも、
どこまで一緒に考えてくれるのか。

そこが少し見えるだけで、
受け取り方はかなり変わる。

「託す」は、手を離すことではないのかもしれない

最近思うのは、
託すというのは、
ただ役割を渡すことではない
ということだ。

役割を渡しても、
関わりまでゼロになるわけではない。
前に出る人が変わっても、支え方は残る。
むしろ、そこが残ってはじめて、
託された側も安心して
前に出られるのだと思う。

年配の側にも、事情や限界がある。
ずっと同じようには
関われないこともある。
それは自然なことだと思う。

だからこそ、
「ここからは任せたい」と言うなら、
せめてその手前にある経緯と、
手渡したあとの距離感だけでも
共有してもらえると、
その言葉はもっと誠実に届く
のではないかと思う。

まとめ

「若い人に任せたい」という
言葉に引っかかるのは、
若い世代に期待すること
自体が嫌だからではない。

説明も伴走もないまま、
責任だけが先に渡される
ように感じることがある

そこに、
モヤモヤの正体があるのだと思う。

次の世代に託すことは大事だ。
でも、託すなら、
経緯も一緒に渡してほしい。
なぜ今ここで手渡すのかも、
できれば見せてほしい。
そして、渡したあとも、
どこまでなら一緒に背負えるのかを
曖昧にしないでほしい。

そうすれば、
「任せる」はもっと温かく届く。
受け取る側も、
ただ重さを感じるのではなく、
意味のあるバトンとして
受け取りやすくなるはずだ。

問題は、世代交代そのものではない。
託し方に、文脈と支えがあるかどうか。
そこなのだと思う。

少しでも重なるところがあれば、
保存しておいてください。
似た場面に出会ったとき、
自分の違和感を言葉にしやすくなる
かもしれません。

最後までお読みいただき
ありがとうございます。
託す側のあなたにとって
任される側のあなたにとって
お互いに何らかの気づきに
なればうれしいです。

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