「分かりません」は、いい返事だった
今日も、引っかかったことをひとつ。

新人研修の最後に
「分かりましたか?」と聞いたら、
返ってきたのは「分かりません」だった。
正直、少しこたえた。
でもあとから思った。
あれは、
かなりいい返事だったのかもしれない。
会議室の空気が、少しだけ重たくなった。
2時間、会社の経営計画を説明して、
マーケティングの入口の話もした。
鼻は詰まっているし、台本もない。
それでもなんとか最後まで話し切って、
私は新人のみんなに聞いた。
「分かりましたか?」
返ってきたのは、
思っていたより
ずっとまっすぐな
「分かりません」だった。
その瞬間は、少しこたえた。
ああ、伝わらなかったか、と思った。
丁寧に話したつもりだったし、
2時間もあれば何かひとつくらいは
届いていてほしい、
という気持ちもあったのだと思う。
でも、時間がたつほどに、
気持ちは少しずつ変わっていった。
あの「分かりません」は、
悪い返事ではなかった。
むしろ、
かなりいい返事だったのではないか。
そんなふうに思うようになった。
今振り返ると、
まず雑だったのは、私の聞き方だった。
「分かりましたか?」は、広すぎる。
経営計画も、マーケティングも、
会社全体の方向性も、
2時間の中に詰めこんでおいて、
最後にそれを一言で確認しようとした。
今思えば、かなり乱暴だった。
理解できたところもあれば、
まだぼんやりしているところもある。
言葉としては聞いたけれど、
自分の中に落ちていないこともある。
そういう「まだ途中」の状態を、
「分かった」「分からない」の
二択に乗せるのは無理がある。
それにたぶん私は、
確認したかっただけではなく、
少し安心したかったのだと思う。
ちゃんと伝わっていてほしい。
この2時間が無駄ではなかったと思いたい。
話した側には、
そういう気持ちがどうしても混じる。
でも、その安心のために、
新人が「分かったふり」を
する場になってしまったら意味がない。
もしあの場で、
みんなが空気を読んで
「分かりました」と言っていたら。
私はきっと、少しほっとして
会議室を出ていたと思う。
でも、その安心は危うい。
分からないのに、分かったことにされる。
教える側は安心する。
教わる側は置いていかれる。
新人研修で本当に避けるべきなのは、
無理解ではない。わかったふりである。
分からないことは、ここから聞ける。
ここから埋めていける。
でも、分かったことに
されてしまったことは、
そのまま放置されやすい。
だから今回、
素直に「分かりません」と
言ってくれたことが、
私はうれしかった。
忖度がなかった。
きれいに整えた返事がなかった。
その場を収めるためではなく、
自分の感覚をそのまま返してくれた。
「分からない」を口にできる場は、
健全だと思う。
とくに新人のうちは、なおさらだ。
そもそも、
2時間で全部が分かるわけではない。
経営計画は、
新人にとってどうしても遠い。
マーケティングも、
言葉は知っていても、
自分の仕事とどうつながるか
までは見えにくい。
だから今回の研修で渡したかったのは、
深い理解ではなく、
まずは全体像に触れてもらうことだった。
会社はこういう方向を見て動いている。
仕事は、目の前の作業だけで
できているわけではない。
その後ろには、大きな流れや考え方がある。
そのことを、うっすらでも
感じてもらえたら十分だったのだと思う。
最初の理解は、小さな点みたいなものだ。
まだ線にはならない。
でも、その点があるだけで、
あとから景色が変わることがある。
仕事を覚えて、現場が見えてきたとき、
「あのときの話はこれだったのか」と、
遅れてつながる。
研修で渡しているものの多くは
きっとそういうものだ。
新人のみんなは、これから
個人目標を立てていくことになる。
でも、経営方針をそのまま
個人目標に落とすのは難しい。
距離が遠いからだ。
経営の言葉は大きい。
視点も高い。
そのままだと、
「大事なのは分かるけど、
自分は何をすればいいのだろう」
で止まりやすい。
その間をつなぐのが、
部署の方針や目標なのだと思う。
部署の話になると、
自分の役割が見えやすくなる。
日々の仕事ともつながりやすくなる。
経営があり、組織があり、
その先に個人の仕事がある。
このつながりを少しでも感じられると、
目の前の仕事の見え方は変わる。
自分の新人時代を思い返しても、
研修の内容を全部覚えていたわけではない。
覚えているのは、断片だ。
誰かの一言とか、図のイメージとか、
その場ではよく分からなかったのに、
なぜか残っていたものとか。
でも、その断片があとから効いてくる。
仕事を覚えてから、急につながる瞬間がある。
理解は、その場で完成しない。
あとからやってくることがある。
だから今回の研修も、
全部伝わったかどうかより、
何かひとつでも引っかかるものが
残っていれば十分なのかもしれない。
とはいえ。
鼻が詰まった状態で、
2時間、台本なしでよく話したな、
とも思う。
そこは少しくらい自分を
ほめてもいい気がしている。
もちろん反省はある。
次は、
「どこが分かりにくかったですか」とか、
「一番印象に残ったのはどこですか」とか、
もう少し返しやすい問いにできたらと思う。
でも、完璧ではなかったからこそ
見えたこともあった。
新人のみんなが、
わかったふりをしなかったこと。
「分からない」を
ちゃんと口にしてくれたこと。
そして、その一言をこちらも
前向きに受け取れたこと。
研修は、教える場であると同時に、
関係が始まる場でもあるのかもしれない。
そう思うと、
あの日の「分かりません」は、
失敗のサインではなく、
これからちゃんと学んでいける
土台のようにも見えてくる。
たぶん私は、あの返事に
少し救われていたのだと思う。
2時間で、全部は分からなくていい。
最初に必要なのは、
完璧な理解ではなく、
全体の地図に一度触れること。
そして何より、分からないことを
分からないと言えることだ。
あの日の「分かりません」は、
伝わらなかった証拠ではなく、
学びが始まった合図だったのだと思う。
最後までお読みいただき
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