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雑に始めた会議のツケ、あとで全員で払ってません?

今日も引っかかったことをひとつ。

きょうのきづき

会議って、荒れることより
静かにズレたまま進むことのほうが、
あとでしんどかったりします。

資料はある。
説明もしている。
うなずいている人もいる。

なので、一見すると平和です。

でも実は、その時点ではまだ
会議に入れていない人
いることがあります。

表の見方が分からない。
略語が分からない。
前回の流れが分からない。

席には座っている。
でも、理解の入口にはまだ立てていない。

なのに会議だけは、
なぜか順調そうに前へ進む。

あの
「見た目はスムーズ、中身はちょっと迷子あり」
の会議、ありますよね。

そして、だいたいあとで
悪い方向に効いてきます。

その場では静か。
でも翌日くらいに、地味に効く。
筋肉痛みたいに。

会議って、揉めるより先に静かにズレる

会議の失敗というと、
もっと分かりやすいものを
想像しがちです。

時間オーバーするとか。
話が脱線するとか。
誰かが強めに詰めるとか。

もちろんそれもしんどいです。

でも実際によくあるのは、
もっと地味なほうだったりします。

その場では成立しているように見える。
司会も進んでいる。
資料も出ている。
誰も止めない。

だから、なんとなく
「回っている会議」に見える。

でも終わったあとに出てきます。

「あれ、そういう意味だったんだ」
「私は別の理解をしてました」
「それ、先に聞いていたら見方が変わってたな」

みたいなやつです。

大事故ではないんです。
でも、ちゃんと効く。

むしろ仕事って、こういう
中事故くらいのズレ
が、いちばん地味に体力を削る気がします。

司会進行役が少しラクをすると、あとで全員に配られる

これ、司会進行役を責めたいわけじゃないんです。
むしろ逆で、会議を回す人って本当に大変です。

時間を見ます。
話を戻します。
論点をまとめます。
沈黙にも耐えます。

場合によっては、
その場の空気や機嫌まで見ています。

もうほぼ気象予報です。

だから、つい思うんですよね。

この表の説明は省略でいいか。
この言葉は分かる前提でいいか。
ここは流れで拾ってもらうか。

分かる。
とても分かる。

会議中の省エネモード、
入りたくなる気持ちはよく分かります。

でも、ここで司会だけが少しラクをすると、
そのあとの負荷が細かく分解されて、
参加者全員に配られることがあります。

解釈がズレる。
聞き返せなかった人が置いていかれる。
あとで個別説明が発生する。
「え、そこそういう意味だったの?」が増える。

結果、全員ちょっとずつ消耗する。

つまり、
司会だけがラクな会議は、
最後にみんながしんどい。

その場では30分で終わったのに、
あとで1時間分くらいのモヤモヤが残る会議。

ありますよね。

表の項目名ひとつで、人は意外と止まる

資料を作った側からすると、
表ってもう景色なんですよね。

この列は何の数字か分かる。
どことどこを比べればいいか分かる。
赤字の意味も分かる。

見慣れているので、
もはや呼吸みたいなものです。

でも、初めて見る人にとっては違います。

その項目名が何を指しているのか分からない。
予算なのか実績なのか分からない。
件数なのか金額なのか分からない。
単位が何かも分からないことがある。

ここで止まるんです。
しかも、かなり普通に止まります。

こういう話をすると、
頭の中に出てくるんですよね。

「いやいや、そこまで説明する?」

って声が。

分かります。
その声、出てきます。

社歴が長い人ほど、
わりと自然に出てきます。

でもたぶん、その
「そこまで」「そこから」
なんですよね。

その「そこまで」や「そこから」を
飛ばすから、
あとでズレる。
ブーメランのように返ってきます。
その「そこまで」を省くから、
分かったような顔のまま別の理解が育つ。

表の説明って、細かい補足に見えて、
実は会議の入口そのもの
だったりします。

社内用語は便利だけど、ときどき普通に人を置いていく

社内用語も同じです。

あれは便利です。
短いし、早いし、
内輪ではめちゃくちゃ通じる。
一度ハマると手放せない。

会議の中のスニーカーみたいな存在です。
ラクだから。

でも、知らない人からすると急に景色が遠くなる。

なんかみんな分かっていそう。
話もどんどん進んでいく。
でも自分だけ字幕なしで
海外ドラマを見ている感じになる。

雰囲気で追うしかない。

しかも社内用語って、
聞き返しづらいんですよね。

話は進んでいるし、
今さら止めるのも気まずいし、
「それって何ですか?」の一言に、
なぜか小さな勇気がいる。

だから、分からないまま追いかける。
追いかけながら、
たぶんこういう意味だろうで埋める。
そして会議が終わる。

この「たぶん」が積もると、
あとで普通にズレます。

派手ではないけど、
確実に効くやつです。
(悪い意味で)

大人の会議ほど、前提は意外とそろっていない

大人の会議って、つい思うんです。

ここは分かる前提でいいか、と。

でも実際は、
大人だから前提が
そろっているとは限りません。

部署が違えば、見ている数字が違う。
入社時期が違えば、文脈が違う。
職種が違えば、その言葉の重みも違う。

同じ会社にいても、
見ている景色は意外とバラバラです。

だから最近ちょっと本気で思うんですけど、会議を回すときって、中学1年生の担任になるくらいの気持ちでちょうどいいのかもしれません。

4月の教室って、
前提がそろってないじゃないですか。

ルールもまだ曖昧。
空気もまだ薄い。
先生の言い方も、
全員が同じようには受け取れていない。

だから丁寧に言う。

「今からこれをします」
「これはこういう意味です」
「分からなかったらここで聞いて大丈夫です」

大人相手にそれをやると、少しひるみます。

そこまで言わなくても分かるでしょ、
と思われそうで。

でも、たぶん逆なんですよね。

「言わなくても分かるはず」
を信じるより、
「まだ分からないかもしれない」
で始めたほうが、結果としてうまくいく。

少し丁寧すぎるかな、
くらいでちょうどいい。

そのくらいでやっと、
同じ会議が始まることって
ある気がします。

丁寧さは、やさしさというより全員の(知的)体力を守ること

丁寧に説明することって、
やさしさの話に見えることがあります。
もちろん、それもあります。

でも個人的には、
それだけじゃない気がしています。

あれはたぶん、
全員の体力を無駄に削らないための行為
です。

最初に少しだけ前提をそろえる。
表の項目名も必要なら触れる。
社内用語も一回だけほどく。
何の話なのかを先に置く。

それをやっておくと、
会議の中で余計な
消耗が減るんですよね。

分からないまま追いかける人が減る。
あとで説明し直す人が減る。
なんとなく分かったふりを
する人も減る。

会議って、
雑に始めると速そうに見えるんです。

でもその速さ、たぶん前借りです。

あとでちゃんと返済が来る。
しかもだいたい、みんなのところに来る。
きれいに平等です。そこだけは平等。

だったら最初に少しだけ
丁寧にしたほうがいい。

新人のためでもあるけれど、
それ以上に、会議にいる全員のために。

長々と書いてしまいましたが

前提がそろっていないまま始めると、
会議は静かにズレます。

表の項目名が分からない。
社内用語が分からない。
前回の流れが分からない。
でも会議だけは進んでいく。

その場ではスムーズに見えても、
あとで解釈のズレや
確認の手間になって返ってきます。

だから、会議を回すときほど
「このメンバーは何も知らないかもしれない」
くらいの前提でいたほうが
いいのかもしれません。

ちょっと丁寧すぎるかな、
くらいでちょうどいい。
なんなら、
中学1年生の担任くらいの気持ちで。

会議は、うまく回すものというより、
最初にズレないように始めるもの
なのかもしれません。

次に会議を回す日、
たぶん役に立つので保存しておいてください。

最後までお読みいただき
ありがとうございます。
会議を仕切った手ごたえがなく
歯ごたえしか残らなかった
あなたにとって
何らかの気づきになればうれしいです。

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