もう父は、私の前髪を切らない
父が脱サラした。
私が生まれる時、父は「家族との時間を大切にしたいから」と自営業を始めることにした。
免許を取って、理容師になった。
街に小さな床屋を開いた。
物心がついた時から、練習用の首だけのマネキンはそこら中に転がっていたし、赤と青と白のクルクルも毎日眺めていた。
クルクルの仕組みが分からず、日々いろんな説を立てた。地面からねじり上がってきているんだとか、鉛筆削りのようになっていてゴリゴリ削り取られているんだとか、考えてみたが答えは出なかった。
大人になってから調べてみると、どうやら目の錯覚を利用しているらしい。どう見てもねじり上がっているようにしか見えないので、信じていない。
首のマネキンは怖くなかった。
それよりも、父がUFOキャッチャーで取ってきた志村けんの変なおじさん人形の方が怖かった。
なぜか変なおじさんは、タオルが入っている棚に身を潜めていた。時々父がそこから変なおじさんを取り出して私に見せる。大泣きした。
今となっては、笑いの神にとても失礼なことをしたと思っている。
保育園の時は、クルクルの隣に並んで園バスが来るのを待った。小学生の時は、ランドセルを背負ってクルクルを目指して歩いて帰った。
月曜日が定休日なので、日曜日もクルクルを眺めることになる。お昼ご飯は、隣のパン屋に行く。シャンプーや蒸しタオルの匂いから、パンの香ばしい匂いに変わるあの瞬間が好きだった。
いつも「キリン」というパンを買う。
黄色いカスタードクリームにチョコレートの縞模様が塗られた細長いパン。日曜日なのにどこにも連れてってもらえない恨みはキリンが全て請け負ってくれた。
パン屋のおじさんも髪を切りにくる。
「キリンいっぱい焼いておくからね」と言ってくれる。こどもの頃の私は、この残酷な台詞を聞くたびにパンを想像して、腹を空かせていた。
近所のオグマさんは、私の絵を褒めてくれた。
私は待合席で絵を描いていたり、店の窓にポスカでイラストを描いたりしていた。それを見て、いつもおつりの500円を私にくれた。
今思えば、会計時に慌てて待合席に駆け込んだこともあった。おつりをもらうための計画的な犯行であったことをここに自供する。
小学校から帰宅したときは、店の入り口から入って、お客さんに挨拶をして、バックヤードにランドセルを下す。
でもこの日は、いつもと様子が違った。お客さんが海外の人だった。初めて見る人。肌の色が違う。匂いも違う。幼い私にとって、怖い存在に思えた。
彼は目をつぶって髭を剃られていたので、私は音を立てずに背後を通り抜けた。サバンナで生き抜く草食動物の気持ちが分かった。バックヤードには寄らず、車の中で身を潜めて、肉食獣が立ち去るのを待った。
彼はゴードンというらしい。ゴードンは常連客となった。父はラジオで英会話を習い始めた。喰われることはないと知った私も、ゴードンがいても身を潜めることはなくなった。
ゴードンから海外版テトリスと海外版たまごっちをもらった。一緒にスーパーまで行って買い物もした。レジに並んでいたお姉さんに二人でナンパもした。田舎の小さなスーパーにヒップホップを感じた。この瞬間が人生で一番海外にかぶれていたと思う。
もちろん私も父に髪を切ってもらっていた。
タオルを出し入れするときに、変なおじさんが出てこないかヒヤヒヤしながら、回転する黒い椅子に座る。
「セーラームーンの前髪にしてほしい」と頼んだときは、ひじきがおでこに貼り付いたような前髪になって泣いた。
ひじきがトラウマになって、もう切られたくないと思っていた時に現れた救世主・宇多田ヒカル。宇多田ヒカルに憧れて前髪を伸ばし続けたが、学校の先生に「床屋の娘なのにその前髪はなんだ」と言われて断髪。ぱっつりと眉上に切られてしまい泣いた。
ぱっつん前髪ならば、持田香織のようなボブにしてくれと頼んだら、言うまでもない。泣いた。
もう父に髪を切られたくない。
でも別の店に行くのは、なんだか申し訳ないような気がする。だから高校生のときは自分で切ったことにして、友だちに切ってもらっていた。校庭でビニール袋から顔を出して切ってもらう。父よりも友だちの方が上手だと思っていたが、全くもってモテなかった。
「高校卒業したら美容室で切るから」
意を決して父に伝えた。
「あぁ」とだけ言われた。
投げつけられたみたいな返事だった。
そして、最後に切ってもらうことになった。
「どうすんだ」と言われて「ボブ、パーマ、ゆるめ」とだけ答えた。どうせ写真を見せてもそうはならないし、最低限の会話をするのが精一杯だった。
仕上がりは期待を裏切らない。サイドの髪の毛だけがこんもりと盛り上がり、犬夜叉のもみあげのようだった。卒業まで「犬夜叉ヘア」と呼ばれることになる。モテない。呪った。
高校を卒業して、晴れてクルクルからの脱獄。
初めていく美容室。心臓が鉛筆削りでグリグリ削り取られていくようだった。
床屋のドアとは違い、重みを感じる。開けてはいけない箱のような、ここを開けたらもう戻ってこれないような。目の前に広がったのは、床屋では見たことがないお洒落な雑貨や雑誌。そして床屋では嗅いだことのないお洒落な香りがふわっと私を覆った。
「これにしてください」は絶対に実現しないことを身を持って体験した私は「お洒落にしてください」とだけ伝えた。鏡越しに写るのは、瞼が垂れ下がった髭面のおやじではない。当時読んでいた古着雑誌から飛び出してきた読者モデルのようなお姉さんだった。
美容師さんは、私が言う「お洒落」に向かって丁寧に質問を繰り返す。今はこんなデザインが流行っているよとか、この色が似合いそうだとか教えてくれた。こんなこと、父にはされたことがなかったな。
美容室での仕上がりは、ロマン輝くエステール。通販番組の宝石のように輝くキューティクル。
美容師さんは笑顔で「お疲れ様でした」と言って椅子を回す。髪を切って労われたのは初めてだった。父にとって私の髪を切ることは、作業でしかなかったんだ。髪を切って、泣いたり呪ったりしないのも初めてだった。
ツヤツヤな髪を見て、気持ちが潤う。でもその奥で砂嵐のような音もする。後ろめたさみたいなものが少し残っていた。
帰宅して父と顔を合わせる瞬間が怖かった。
切り直されるのではないか、とか嫌味を言われるのではないか、とか。
「切ってきたのか」と言われたのは聞こえてた。でもまっすぐ前だけをみてそのまま階段を上がった。
この頃、家庭では父と母の喧嘩が絶えなかった。母は毎日私に父の愚痴を言うようになったし、父も私と顔を合わせるたびに、大きな声を出すようになった。どんどん家族の歯車が狂って、家の中にはじっとりとした下水道みたいな空気が流れていた。
私は部屋に閉じこもった。ドアを閉めても聞こえてくる大きな声を掻き消すように、ヒップホップを大音量で流した。
そして、父は家を出た。
もう大きな声は聞かなくてよくなった。部屋で流れていたヒップホップもMy Little Loverくらいに落ち着いた。
それでも母の愚痴は止まらなかった。
愚痴を聞くのが嫌だったから、意味もなくレンタルビデオショップに入り浸ったり、コンビニで立ち読みしたりして、ひたすら時間を消化した。毎日母が寝た頃を見計らって帰宅した。
友だちにも言えなかった。
家族の話はどうしても空気が重くなる。その重さを跳ね除けるハッピーオーラもない私は、切り出す勇気がなかった。
「父は架空の生き物で、存在しているかもしれないし、していないかもしれない」
そう自分に言い聞かせて、ファンタジー世界を生きることにした。それが一番楽だった。
こどもの頃に味わった理不尽は「大人になったら分かる」で片付けられることが多い。
言われの通り、今なら分かることも多い。
父は店が終わってから、近所の美容室をよく見回っていた。そこにはまだお客さんがいて、煌々と灯りがついていた。それを横目にため息をつく父。
家に帰ってから一枚、二枚とお札を畳に並べては、さらに深くため息をつく父。
理容師としてではなく、父としてでもなく、追い詰められた一人の人間だったんだ。
それでもファンタジー世界に長く入り浸った私は、大人になってもどうしても分からないのだ。父の存在が。
私にとって父は「前髪をひじきにして、大声を出して家出した人」
過去の記憶をどれだけ掘り起こしてもクルクル回って思い出せない。
「大人になって父ちゃんと酒を飲みたい」なんて話をよく聞くけど、私の中のファンタジーではそんなイベントクエストは発生しない。
ひじき以外の記憶がほしい。
だから久しぶりに、床屋の前を通ってみた。
床屋は売地になっていた。
隣のパン屋も建設会社になっていた。
「前髪どうしますか?」
今でも美容室で聞かれてうまく答えられない。
あの時、ひじきを見て泣かずに笑っていたら何か変わっていただろうか。犬夜叉になろうと殺生丸になろうと、あの黒い椅子に座り続けていたら父は存在していただろうか。
大人になっても分からないことばかり。分かりたくないことだってたくさんある。
志村けんに怯えて泣いていた私が、高校では白塗りと和装で笑いを取ることができた。何がどう転ぶか分からない。
髪の仕上がりだって分からない。
今でも鏡の前で、前髪がひじきにならないか少しだけ怯える。
でもその心配はいらない。
もう父は、私の前髪を切らない。
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みっくみくにしてやんよ ⊂ミ⊃^ω^ )⊃