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澤野弘之の音楽は本作を救ったのか、奪ったのか——『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(2021)の音楽について書こうとすると、いつも筆が止まる。澤野弘之のスコアは間違いなく強烈で、メインテーマ「FFM_var」やエンディングの「Senkou」が独立した楽曲として広く聴かれていることに異論はない。だが本編を観たあと、頭に残っているのが映像なのか音楽なのか分からなくなる瞬間が確かにあった。これを「音楽が映画を救った」と取るか「音楽が映画を食った」と取るかで、本作の評価は割れる。本稿は両側に正直でいたい。


澤野弘之の現在地

澤野弘之は1980年生まれ、デビューはドラマ『獣医ドリトル』(2010)あたりだが、世間に名前が刺さったのは『機動戦士ガンダムUC』(2010開始)と『進撃の巨人』(2013-)だろう。電子音とオーケストラを混ぜ、英語やドイツ語の歌詞を載せたボーカル曲を戦闘シーンに重ねる手法は、彼が確立したと言っていい。『キルラキル』『プロメア』『鬼滅の刃』劇場版の一部、『86―エイティシックス―』。2020年代の日本のアニメ映画で、戦闘シーンに歌詞付きの曲が流れたら、まず澤野か澤野フォロワーだと思っていい。

『閃光のハサウェイ』を彼が手がけたのは、ある意味必然だった。『ガンダムUC』で既に同シリーズの音楽体験を更新済みだったし、村瀬修功監督が求めた「映画的なスケール感」と、澤野の「メロディで殴る」スタイルは表面的には噛み合っていた。


「Möbius」が映画を持っていく瞬間

本作の予告編からテレビCMまで、印象に残るのはほぼ「FFM_var」のフレーズだ。劇場で本編を観たとき、ラストの暗転からスタッフロールに「FFM_var」がフルで流れ出した瞬間、観客席のため息が聞こえた。この曲の力は否定しようがない。

問題は本編中盤、ハサウェイがマフティー作戦を遂行する一連のシーンで、似た系統のボーカル曲が立て続けに流れることだ。映像は意図的に抑制されている。村瀬監督が選んだのは、ハリウッド大作的なスペクタクルではなく、夜の都市の中を音もなくMSが滑り、不意に爆発が走るというドキュメンタリー風の演出だ。そこに歌詞付きの強烈な楽曲が乗ると、映像の「抑制」と音楽の「全力」の温度差で、観客の意識が音楽側に持っていかれる。本来なら息を呑むべきシーンで、無意識に楽曲を聴いている自分に気づく。これは映画体験として歪んでいる。


「奪った」と言いたくなる理由

正直に書くが、本作で最も澤野音楽に違和感を覚えたのは、ハサウェイがケネスと最後に向き合うラウンジでの会話だ。役者の声と沈黙だけで十分成立する場面で、感情を煽る楽曲が薄く敷かれる。村瀬監督は明らかに「言外の何か」で勝負したかったはずだ。澤野の音楽は基本的に「言ってしまう」音楽で、観客の感情を曖昧なまま放置することを許さない。本作のテーマ——曖昧さの中で生きる男の物語——とは、根本的に折り合いが悪い。

『ガンダムUC』の音楽が成功した理由を考えると分かる。あの作品は最初から大上段に振りかぶった神話劇で、澤野の「言ってしまう」音楽が物語の温度と一致していた。だが『閃光のハサウェイ』は、富野原作の「政治的に汚れた大人の話」だ。サイコフレームの光に観客を泣かせる物語ではなく、爆弾で人が死ぬ後ろめたい物語である。そこに『UC』と同じ手法を持ち込んだ判断は、本当に正しかったのか。コアな富野読者ほどこの違和感を強く持つ。「ハサウェイ的なもの」を音楽が表現しきれていない、という声は今もネット上に残り続けている。


「救った」と言いたくなる理由

一方で、本作が興行的に成功した一因が澤野音楽であることも事実だ。2021年6月のコロナ禍真っ最中の公開で、新規層を映画館に引っ張った力学のひとつに、サウンドトラックの先行配信で築かれた音楽人気がある。YouTubeでの「FFM_var」の再生回数、ライブイベントでの動員、サブスクでの長期再生。映画本編を観ていない層が、楽曲経由で本作を知り、後から円盤やストリーミングで本編に流れた構造は無視できない。

ガンダムシリーズが2010年代以降、コアファンの高齢化と新規層獲得のジレンマに苦しんでいる中で、澤野音楽は明確に「新規層の入口」として機能した。これを「奪った」とだけ評価するのは、商業作品の現実を見落としている。マーケティング装置として音楽が物語より強くなる時代に、本作はその先端で踊っただけだ。澤野ひとりを責めるのは筋違いで、彼を起用した制作判断の責任の話になる。


答えの出ない両義性

結局のところ、本作の音楽は「救った」と「奪った」を同時にやった。これは矛盾ではなく、現代の商業アニメ映画が抱えている構造そのものだ。映像作家が突き詰めたい繊細な表現と、興行が要求する分かりやすい感情の山。澤野弘之という作曲家は、その後者の極致を担当する人だ。彼を起用するという選択は、映画の半分を商業の論理に明け渡すという選択でもある。

個人的には、本作の音楽は強すぎたと思う。村瀬監督の映像が10年後に再評価される日が来るとして、その時に「あの音楽さえなければもっと早く評価されていたのに」と惜しまれる気がする。だが同時に、その音楽がなければ本作は2021年に届く観客の数が半減し、続編『キルケーの魔女』の企画自体が成立しなかったかもしれない。届かなければ評価もされない。届くために削った繊細さがある。これが現代の商業映画の現実で、本作はその現実の中で最善を尽くした作品だ。

賛否を抱えたまま、もう一度劇場で観たい作品である。次に観るときは、目を閉じる勇気を持って、音楽が映像を覆う瞬間に集中してみたい。


関連書籍

『「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の秘密に迫る「FAN GATHERING『閃光のハサウェイ』Heirs to GUNDAM」レポート』 — 公開後のファンイベント記録で、制作スタッフが音楽選定の経緯にも触れている資料。本稿で論じた「強い音楽がなぜ選ばれたか」の制作側の理路を、ファンミーティング録から読み取れる。

『澤野弘之(リットーミュージック・ムック)』 — 澤野本人のインタビューとスコア解説を収録したアーティストブック。本作のスコアに込められた意図を作曲家の言葉から直接確認できる。

『ガンダムUC証言集』 — ガンダムUCプロジェクトの制作証言と世界観論考を収録。澤野弘之がUCスコアでどう評価されたかを踏まえた上で、本作の音楽的継承関係を確認できる。

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